先にまとめから~壁が大きく見えるとき~
仕事、競技、あるいは他の何かで、目の前にそびえる壁や立ちはだかる相手がとても大きく見えて、自分が押しつぶされそう……そんな時、あなたならどうしますか?
逃げ出す?
とにかくぶつかる?
それとも……
『拳奴死闘伝セスタス』第11巻でセスタスは、技術は粗いが強打を誇るギデオンへの怯えがぬぐい切れず腰が引けた闘いを繰り広げます。そのさなかにセスタスが気付いたこととは?
そして第10巻(←本ブログの紹介ページへ飛びます)から続くカーメス対アドニス戦が、この巻で決着します。努力VS才能、その結論は?
「セスタスはどうやって怯えを克服したか?」そこには、私たちが目の前にある壁や人に立ちすくんだときの大きなヒントが潜んでいるかもしれません。
こんな方には特におすすめします。
・自分より大きく見える誰かにすくんでしまう方
・押しつぶされそうなプレッシャーに向き合っている
・「結局、世の中って才能なの? 努力なの?」という疑問を抱えている方
※極力ネタバレしないように書いておりますが、試合結果という意味でのネタバレは避けられません。ネタバレを避けたい方はご注意ください。
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美濃達夫さんとの会話
どうなさいました美濃さん、難しい顔をして。
「ああ、友人のことで考え事してました」
ご友人のことで。
「ええ。そいつの先輩で一人、仕事はすごくできるんだけどそいつにだけ妙にあたりがきつい人がいるそうで」
ええ。
「そいつ自身は仕事で見返してやりたいと言ってるんですが、自分から見るとその先輩は圧倒的に優秀でどこからどう追い抜いたらいいのか分からない、と」
そうなんですか、確かに圧倒的に見える人っていますよね。でもその先輩がどうかはともかく、そういう人って一つしかない取り柄がずば抜けてるからトータルでも優秀に見えるだけ、なんて話も聞きます。
「ああ、そう言えばたまに聞きますね」
まさに『拳奴死闘伝セスタス』のギデオンがそうですよね。第11巻でそれがはっきりします。
「そう言えばまだ第10巻までしかお聞きしてませんでしたね」
そうでしたね、いい機会ですからお話ししましょうか。
「お願いします」
第11巻のあらすじ──試合の流れ
第11巻はカーメス対アドニス戦の続きから始まります。肋骨を折られ呼吸もままならない窮地から不屈の闘志で立ち上がったカーメスでしたが、アドニスが驚異的なフットワークと速射を駆使して勝利をおさめます。
その次はセスタス対ギデオン戦です。ギデオンの破壊力に恐れをなしたセスタスは寝ても悪夢に悩まされ、その怯えをザファルに見抜かれます。試合が始まってもセスタスは、初めのうちは腰の引けた闘いぶりでギデオンに圧倒されています。しかしあるきっかけでふっ切れてセスタスは本来の実力を発揮し始め、逆にギデオンの焦りを誘います。
ご友人の話で私が思い出したのはこちらなんですが、まずは順を追ってお話ししましょう。
努力VS才能──その結論は?
「この試合は私にとってもとりわけ興味深い試合ですが、アドニスが勝ったんですね」
はい。ただ、努力VS才能と言える試合でしたが、アドニスが勝ったことが単純に「世の中は結局才能だ」という意味だとは私には思えませんでした。むしろ「才能に敗れることがあったとしても、悔いが残らないところまで努力を重ねることには当人だけが痛感する価値がある。あるいは、その努力があるからこそ敗れても違う道を見つけることができる」そんな風に私はこの試合を解釈しました。
「そう解釈された理由は何ですか?」
・カーメスも極めて高い技量を持っている。
・アドニスも彼の技量と不屈の闘志に敬意を表している。
・敗れたカーメスは一切悔いを残しておらず、むしろさらに遠大な目標を見つけた。
という理由です。一つ目と二つ目は第10巻(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の時にお話ししましたので、三つ目についてお話ししましょう。
勝負は結果が全て 惨敗に弁解は無用だ しかしこの… 清々しい程の「解放感」は何故だろうか……? 俺もまた高を括る 大海を知らぬ蛙だった 地平はどこまでも遠大で 高みも想像を超えている 学ぶべき「真理」は無限なのだ 敗退に何の悔いがあろうか 俺が選んだ「道」の先にはこんなにも 豊饒な世界が在るのだから……!(第2章 第88話「種蒔く人」。傍点は原文のまま、以下同じ)
「拳闘を『学究』と呼んだカーメスらしいですね」
ええ。そして単行本でお読みいただければ分かりますが「学ぶべき『真理』は無限なのだ」というカーメスの独白が、勝者アドニスの背中に重なっています。若輩のお調子者アドニスに対する敗北からさえ学ぼうとするカーメスの、闘士として・人間としての分厚さがそこに現れているような気がします。
「単行本で読むのが楽しみになってきました」
ありがとうございます。で、カーメスが見出した、さらに遠大な目標とはこれです。
帰郷したら「種蒔き」に専念しよう この身に宿す経験と教訓の全てを次代に伝え託すのだ オレの夢は理想の結実 「収穫者」が己である必要はない(同上)
「後進の育成、ですか」
そうです。指導者として弟子からの人望も厚いカーメスだけに、私としては彼の今後を大いに応援したいです。
「……もしかしてなにわt4eさんにとって、負けたカーメスの方が存在感が大きくないですか?」
ははは、おっしゃる通りですね。
セスタスの怯えと復調
「で、私の友人で思い出されたのはセスタス対ギデオン戦ということでしたが」
そうです。ギデオンがロキという怪物を倒して大きな自信を得たこともあって、試合開始直後のセスタスは完全に呑まれてしまっていました。
「それがふっ切れたというのはどうやって?」
自分の醜態に笑い転げたんです。
「笑い転げた!?」
ええ。自分を客観的に見ることができるようになったんですね。ギデオンも観衆も唖然としますが、ザファルは
そうだ! こんな逆境などむしろ 笑い飛ばしてしまえばいい 開き直れば肚も据る その意気や 良し!!(第2章 第94話「逆境を笑え」)
とニヤリとしています。ここでいつもの威力とキレを取り戻したセスタスの闘いぶりに、ギデオンが次第に押されます。
ここで一つ強調したいのは、セスタスはただ開き直っただけではないことです。
「もしかして、さきほどおっしゃった『一つしかない取り柄がずば抜けてるからトータルでも優秀に見えるだけ』ということですか?」
さすが美濃さん、ご明察です。
肚が据ると感覚まで冴えて来る(中略)ギデオンは一流の「巧者」じゃない!(中略)怖いのは「破壊力」一点のみだ!(第2章 第95話「経験の総力」)
ということに気づいたんです。間合いの操作はイオタに、攻撃精度はムタンガに、出足の圧力はエムデンに、連打力はフェリックスに、ギデオンは及ばない。
美濃さん、これらに何か共通点があると思いませんか?
「……もしかして、パンチを当てるのが上手いということですか?」
その通りです。一方のギデオンは、当たれば怖いが当てるのが上手いわけではない。かつてセスタスを追い詰めたライヴァルたちとはここが決定的に違います。
「状況を俯瞰して見られるようになったことでセスタスは、自分の強みと相手の実力を正確に把握できたんですね」
はい。これは美濃さんのご友人にも当てはまるかもしれませんよ。とは言えセスタスの闘いが楽になったわけではなく、緊張感に満ちた試合運びが続きます。その結末は第12巻に持ち越されますが、本当に息を呑みますよ。
ギデオンが背負っていたものは?
話は少し外れますが、この巻ではギデオンが熱心党(※)と完全に縁を切ったいきさつが描かれています。彼はもともと熱心党に属していたようですが(第9巻 第2章 第74話「聖地の放蕩息子」)、次第に距離を置くようになっていたことがこの巻からうかがわれます(第2章 第90話「悲願と使命」)。
そしてある人物の死がきっかけとなってギデオンは熱心党と完全に縁を切り、拳闘試合でユダヤ独立に道筋をつける方向へと舵を切ったんです。
「ある人物とおっしゃいますと?」
詳細はお読みいただいてギデオンの思いを追体験していただきたいので、ここではギデオンが背負うユダヤ独立の悲願にはその人物の命も含まれているとだけ申し上げます。
「分かりました、なにわt4eさんらしいですね」
ははは、気を持たせるってことですか?
「それもありますが、作中人物の思いを追体験してほしいというところが、です」
※……ユダヤ教徒の一派。武力闘争によるユダヤ独立を目指していた。
なにわt4eの感想
「なにわt4eさんのご感想をお聞かせください」
まず心に残るのは、やっぱりセスタスが自分を取り戻した場面です。復調後の彼はいつも以上に動きや眼が冴えているようにすら、私には見えました。美濃さんのご友人も、似たような状況になったら私も、自分を笑い飛ばすことで視野が広くなって、自分が何をすればいいか見えてくるかもしれませんね。
「場所は選ぶ必要がありそうですが」
ははは、同感です。で、この場面で一つおもしろいと思ったことがあるんです。
「それは何ですか?」
試合前半は興味を失って観客席で眠たげにしていた(眠っていた?)アドニスが、セスタスの大笑いが聞こえると飛び起きてセスタスをじっと見つめるんですよ。
「何でしょうね、それは」
アドニス自身、試合中に笑顔を浮べたり鼻歌を歌ったりして力みを抜きつつ闘っています。つまり笑いの効用をよく知っているんですね。それだけに「あいつ、笑うことの効用を分かってるのか」あるいは「ここからは本来の実力を発揮するはずだ、どんな試合になるか分からんぞ」そんな感じのことを思って目を見張ったのだと思います。
そしてカーメスの潔さも第11巻の大きな読みどころだと思います。努力VS才能の勝負は、結果だけ見れば才能が勝ったように見えます。しかしカーメスの潔い去り際からは、結果は負けでも努力することの価値が、そして何より作者のカーメスに対する深い敬意が伝わってくる。
そもそも、このカーメスと言い、第9巻のミロンや第3巻のマレクと言い(←どちらも本ブログの紹介ページへ飛びます)「作品からは恐らく消えるけど、できればこれからを見届けたい」と思わせる人物がこんなにてんこ盛りの作品なんてそうそうありませんよ。少なくとも私の知る限り。
いずれ第12巻についてもお話ししようと思いますので、楽しみになさってください。
「ははは、首を長くして待ってますよ」
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