『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志・伊藤亜衣)名もない女性が残した「物語」

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先にまとめから

 2022年11月の発売以来、静かな反響を呼び続ける本書『ある行旅死亡人の物語』。 私ももちろん読みましたし大好きな1冊ですが、この本がなぜ反響を呼んでいるのでしょうか? 

 拡大する一方の格差に押しつぶされそうになったりいびつな人間関係に神経をすり減らしたりする中で、本書に触れた人は他者に共感する喜びを感じているんじゃないでしょうか?

 「あなたを気にかけている人がいるんだよ」気休めでも絵空事でもない説得力をもってあなたに語りかけてくれる本書を、あなたも手に取ってみませんか?

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、『ある行旅死亡人の物語』という本をご存知ですか?」

 ええ、つい最近読みました。かなり多くの人に読まれているようですね。

「取り引き先の部長さんも読まれて、大変心に残ったとおっしゃってます」

 分かります。本当に心に残る本ですよ、これは。

どんな本?

「そもそも『行旅死亡人』とは何ですか?」

 本書によれば「病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語」です。すごく大雑把に言ってしまうと、どこのどなたか分からない状態で亡くなった方ですね。

「どこのどなたか分からない、なのに『物語』とは不思議ですね」

 そうかもしれません。この本は共同通信の記者がひょんなきっかけから、行旅死亡人として亡くなったある高齢女性、後にお名前は田中千津子さんと判明しますが、彼女の生涯や人物像を調べた顛末のノンフィクションです。つまり『物語』というのはその女性が生きてこられた物語です。

本書が生まれたきっかけ

「別に有名な方でもないようですが、そんな方についてどうして調べたんですか?」

 きっかけは武田氏がネタ探しのために行旅死亡人データベースをチェックしていたときに、約3400万円の現金を持って亡くなった行旅死亡人の存在を知ったことです。

「3400万円!?」

  ね、美濃さんも驚いたでしょう。武田氏の関心もそこがスタートでした。もっとも初めから強い関心を持っていたわけではないらしく、氏名が田中千津子さんと判明したところから次第にのめりこんだようですね。そこへ、武田氏の声掛けで同僚の伊藤氏が合流しました。なお本書は元々ウェブ記事だったものを一冊の本にまとめたものですが、ウェブ記事の時点でかなりの反響があったようです。

千津子さんの謎、その解明

「3400万円の現金を持ってひっそりと亡くなったとは、ずいぶん謎めいてますね…」

 他にも千津子さんにはいくつかの謎があるんです。右手の指がすべてなくなっていること、非常に珍しい沖宗姓との関連、北朝鮮を思わせるペンダント、など。

「北朝鮮?」

 北朝鮮は国旗などいろいろなものに星形をあしらうでしょう。星型をあしらったペンダントが遺品の中にあったんです。おまけに千津子さんは隣人と交際らしい交際を持たずに暮らしていたので、調査の途中では北朝鮮のスパイ説も出ました。

「謎はすべて解明できたんですか?」

 いえ、スパイ説も含めて謎のままで残った事柄の方が多いくらいです。やはり年月の経過が大きな壁ですし、晩年は隠れるように生活しておられたようですから。ですのでミステリー的な興味で読むとかなり不満が残ると思いますが、そもそも本書は調査の顛末を記したノンフィクションであって、謎解きを眼目とした本ではありません。

彼女を知る人は?

「生前の千津子さんをご存知の方はおられなかったんですか?」

 詳細は本に譲りますが、生前に交流のあった数人の方から証言は得られました。私が胸を打たれたのは、千津子さんと同級生だったという川岡シマヱさんの、以下の言葉です。

「一人がさえんかった・・・・・・ろうなと思って」
シマヱさんは大人になった千津子さんの写真を見ながら独り言のようにつぶやいた。
「さえん」とは広島弁で「さみしい」「残念」「パッとしない」などの意味を持つという。この言葉に、旧友を思うシマヱさんの温かい気持ちが込められているような気がした。(P.178、傍点は原文のまま)

感想

「なにわt4eさんはこの本を読んでどう思われましたか?」

 先ほども申しましたが、本当に心に残る本でした。武田氏と伊藤氏の調査によってどこの誰とも分からなかった行旅死亡人が名前を取り戻し、ご遺骨が故郷に帰られた。数々の謎を残してはいますが、千津子さんは間違いなくこの世に生きておられた。この事実に私は

「私も確かにこの世に生きている」
「この世に足跡を残している」
「誰かが私を覚えてくれている」

 と改めて感じましたし、多くの読者もそう感じたのではないでしょうか。書店でこの本を始めて見たとき、私はジョゼ・サラマーゴ『あらゆる名前』(←当ブログの紹介記事へ飛びます)を思い出しました。

「どんな本ですか?」

 無名の役人が自殺を遂げた見知らぬ女性の人生をたどる物語です。フィクションとノンフィクションの違いはあるものの、筋立てが似てるでしょう。人間の尊厳を静かに浮かび上がらせる点も共通しています。ちなみにジョゼ・サラマーゴはポルトガル語圏で初めてノーベル文学賞を受賞した作家です。

 著者の武田氏と伊藤氏はネットのインタビューでこのように語っています。

武田「人は誰しも孤独で、秘密を抱えて生きている」というところに共感する人が多かったのかなと思います。
伊藤「一人で亡くなるなんて、かわいそう」というだけじゃなくて、きっと楽しい時も幸せな時もあったんだろうと。そういう気付きが読者にも伝わったんだとしたら、うれしいなと思います。
(「きっと誰かが覚えている 記憶に残る生きた証 ー 『ある行旅死亡人の物語』(11/30出版)著者インタビュー【後編】共同通信・大阪社会部」より)

「…確かに、千津子さんも幸せな時はあったでしょうし、亡くなった時も実は幸せに亡くなられたのかもしれませんね」

 私もそんな気がします。千津子さんは一見孤独に亡くなられたように見えますが、少なくとも武田氏と伊藤氏は彼女を知っていた。川岡シマヱさんは彼女を覚えていた。千津子さんは孤独じゃなかったし、美濃さんも、私も、(そしてこの記事をお読みくださっているあなたも)孤独じゃない。私はそう信じます。


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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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