『ファスト教養』(レジー)私たちに必要な「教養」って何?

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(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、本屋さんで本の壁を眺めてるとたまに頭が痛くなってきますよ」

 頭が痛くなる?どうしてですか?

「自分の知らないことがいかに多いかを痛感するからです。教養があるとかないとかいうでしょう?本の壁を前にしてると、あらゆる分野のあらゆることを知らないうちは教養があるとは言えない気がします」

 さすがにそれは不可能ですが、そう思いたくはなりますよね。教養という言葉自体、定義がはっきりしてませんし。

「ええ。いったい教養って何でしょう?」

 私にはそれを正確に定義づけることはできませんが、これは教養じゃないだろうというものを考えることで、言わば反対側から「教養とは何か」をいくらかはっきりさせることはできるかもしれません。

「それはそれで、どうやったらいいものか」

 参考になりそうな本ならあります。レジー『ファスト教養』です。

※引用文を除き、レジー氏の著作名としては『ファスト教養』、一般名詞としてはファスト教養と、表記を分けています。

目次

ファスト教養とは何か?

「ファスト教養?ファストフードの派生語ですか?」

 おそらく著者の造語ですが、ファストフードの派生語と言えるでしょう。手っ取り早くおなかが膨れて、食える程度にはおいしくて、でも健康的とは言い難く味覚もマヒしそうな食べ物がファストフード。それになぞらえて著者のレジー氏はファスト教養をこう定義づけています。

ファストフードのように簡単に摂取でき、「ビジネスの役に立つことこそ大事」という画一的な判断に支えられた情報。(P.10)
「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく「ビジネスに役立てられるから(つまり、お金もうけに役立つから)」という動機でいろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かに深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。(P.27、ルビは原文のまま)

※「手っ取り早く食べられる」という意味で厳密には回転寿司やお好み焼き、シシカバブなどもファストフードに含まれるため、「食える程度にはおいしくて」云々の記述は必ずしも正しいとは限りません。ただファスト教養のイメージがわきやすいよう、本ブログではこのように書いております。

背景には何がある?

「『着実に勢力を広げつつあるそんな考え方』ということは、そのファスト教養が今は社会から求められているんですか?」

 はい。次の指摘が特に分かりやすかったです。

「変化の激しい時代には教養を学ぶべし」となった時に、では本当に学ぶべき教養とは具体的に何なのか。その教養を学ぶことで、時代の変化にどういう形で対応できるようになるのか。そんな話は当然示されることなく、「教養が必要」という漠然としたメッセージと「教養を学ばないとやばい」というそこはかとない不安が増幅されていく。そこから生まれるのは「学びの楽しみ」や「自己成長への期待」といったポジティブな感情ではなく、「転落への恐怖」とでも言うべきネガティブなものである。(P.52)

 で、「転落への恐怖」の背景として著者が指摘しているのがいわゆる自己責任論です。詳しくは本に譲りますが社会に浸透した自己責任論、自分で努力して稼げない奴は落ちぶれて当然という考えが「転落への恐怖」につながると指摘しています。

「自己責任論と厳しい社会情勢に挟まれて息も絶え絶えのビジネスパーソンが今日明日にも役立つサバイバルキットとしてファスト教養セットを買いあさっている、というところでしょうか」

 そんな感じだと思います。

では教養とは何か?ファスト教養にどう向き合う?

「例えば、どんなものがファスト教養として挙げられてますか?」

 中田敦彦のYoutube大学や『教養としての〇〇』というたぐいの本、勝間和代や堀江貴文などが挙げられています。先の2例は膨大な知識やニュースを要約して手っ取り早く伝えてくれる存在、後の2例は金になる勉強の方法を教えてくれる存在として。

「それらではないものが本当の教養だ、ということですか?」

 あくまでも私の個人的な理解ですが、それに近いと思います。

「ではどうすればいいと書いてあるんですか?」

 ネタバレ回避のため詳しくお話しすることは避けますが、いわゆる第三の道を提唱しています。それが一番難しいんじゃないの?とは思ったものの、そうとしか結論付けようがないでしょうね。

感想

「なにわt4eさんはどう思われましたか?」

 とても面白かったです。ファスト教養の論者として挙げられている例に私の大嫌いな人物が含まれているので快哉を叫んだ、という下世話な意味もありますがね。 私はこの本を読んで、古代ローマ帝国を舞台とした拳闘漫画『拳奴死闘伝セスタス』(技来静也)(←Amazonの紹介ページへ飛びます)のセリフを思い出しました。元三流拳闘士にして超一流指導者、カディスのデモクリトスの言葉です。

「どんなに優れた『知恵(ソフィア)』も人の為・・・に使わねば意味が無いだろう」(第2章 第25話「託された生命」第4巻収録、傍点は原文のまま)

 先日お話しした『GIVE&TAKE』(←当ブログの紹介記事へ飛びます)を思わせますね。『ファスト教養』にもこれに近い指摘があります。

ファスト教養と密接に結び付く自己責任の発想は、自分の成功をすべて自分の手柄に還元する考え方も内包している。(P.207)

 最終的に人の為に使われてこそ、教養と呼ぶに値するのかもしれません。

あと小林よしのり『ゴーマニズム宣言』の最初期に、小林氏がバイト学生時代の経験を描いています。肉体的には非力な小林氏は運送会社のアルバイトとして、いまいち戦力とは言い難い存在でした。「小林は役に立ってんのか?」と尋ねる社長に、ベテラン社員たちは「あいつは雇っていてやってください、まじめでユーモアもあるやつですから。力はないけどその分は私らがやりますから」と答えます。それを物陰で聞いていたらしい小林氏は「教養はないけど懐の深いおっちゃんらに支えられて、ようやく存在を許されていた自分」と振り返っています。そのおっちゃんらこそが本当の教養人かもしれません。 これらのセリフとエピソードが、教養なるものの本質を表しているように思えてならないのです。

まとめ

 先述した下世話な意味を抜きに考えても、『ファスト教養』は教養という言葉に振り回されがちな私たちには必読書だと思います。本書の副題をもじって言えば、大事な答えや知識ほど10分で得られるわけがないのですから。ファストでない教養を、最終的には人の為に用いる。堂々巡りじみた言い方ですが、これが本来の教養なのかもしれません。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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