『怒りの葡萄』(ジョン・スタインベック)格差への怒り、人間への信頼

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(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「ここしばらく貧困についての本を紹介していただくことが多かったですが、日本もいよいよ格差社会だとよく言われますね」
 
 ええ。しかも、どこの国でもそうだと思いますが、貧困層に落ちるのは簡単なのにそこを脱出するのは並大抵の難しさではありません。

「貧困とか格差を描いた小説って多いんですか?」

  たくさんありますよ。いつかお話しした髙村薫『レディ・ジョーカー』(←当ブログの紹介記事へ飛びます)もそうですし、あの有名なドストエフスキー『罪と罰』も主人公は貧乏学生です。高橋和巳『邪宗門』では穏健な新興宗教団体がテロ集団に変貌するのですが、それを主導した千葉潔は少年時代に凄惨な貧困を経験しています。悲惨な労働環境を取り上げた小林多喜二『蟹工船』も広い意味では貧困がテーマかもしれません。私の大好きなジョン・スタインベック『怒りの葡萄』はもろに格差社会への怒りを表現した作品です。

目次

「『怒りの葡萄』?変わったタイトルですね。まずあらすじをお願いします」

 アメリカ・オクラホマ州の農村地帯を猛烈な砂嵐が襲い、農地を荒らしました。土地を所有する銀行は荒れた農地から利益を得ようと大規模農業への切り替えを図り、そのために小作農を立ち退かせます。ジョード一家も立ち退きを強いられた農家の一つでした。そこへ刑務所から仮釈放されたトム・ジョードが帰ってきました。「カリフォルニアには仕事がある!果実畑がいくらでもあって、収穫の仕事にありつける!」トムを含めジョード一家は新天地カリフォルニアを目指す旅に出ます。あるときは劣悪なキャンプで過ごし、家族が亡くなったり行方不明になったり、大変な困難をくぐり抜けて辿り着いたカリフォルニア。そこはジョード一家と同じことを考えてやって来た農民であふれかえり、足元を見た大資本がコーヒー1杯飲めるかどうかの日給で彼らをこき使っていました。カリフォルニアは新天地でも約束の地でもなかったのです。この事実に直面したジョード一家はじめ農民の胸に育ち始めたもの、それは何だったか?

「ずいぶん社会性の強い作品みたいですが、何かの時代背景があるんでしょうね」

 ええ。一つは1930年ごろの世界恐慌、もう一つはそれとほぼ同時に起きたダストボウルと呼ばれる大規模な砂嵐です。また、旧約聖書の出エジプト記が本作の主要モチーフとなっています。

「旧約聖書の出エジプト記とは何ですか?」

 キリスト教の聖典である聖書が大きく二つに分かれていることはご存知ですか?イエス・キリストが生まれるまでのユダヤ民族史を描いた旧約聖書と、イエス・キリストの生涯や教えを伝える新約聖書です。出エジプト記は旧約聖書の一部で、エジプトで奴隷として使役されていたユダヤ民族がモーセというリーダーに率いられてエジプトを脱出したものの、神が約束した土地にたどり着くまで40年の長きにわたって荒地をさまよう物語です。スタインベックはこの出エジプト記を土台として、ジョード一家がオクラホマからカリフォルニアに旅する物語を構想したと言われています。西洋文学がキリスト教の影響を受けていることは珍しくない、と言うより影響を受けてない作品を探す方が難しいでしょうけど、『怒りの葡萄』は非常に分かりやすい例ですね。

「なにわt4eさんは『怒りの葡萄』のどんなところがお好きなんですか?」

 本作の魅力を挙げ出すと本当にきりがないんですが、主にということで言えば
 
 ・格差社会に対する怒りの凄まじさ
 ・人間への深い信頼
 ・呆れるほどじっくりと対象を描く文体

ですね。 第5章で小作農が農地を奪われる場面はじめこの作品はタイトル通り怒りに満ちています。格差社会に対すると言いましたが、搾取するものへの怒りと言った方がいいかもしれません。かと言って怒り一辺倒の作品ではなく、どんな逆境でも生きていく人間への信頼が全編に息づいています。

あたしたちのやることは、なんでも──生きつづけることに向けられているような気がする。そういう途(みち)なんだって思える。飢えることですら──病気になったり、死んだりすることですら、まわりのものをしぶとくし、強くする。その日、一日を、なんとか生きようとする。(新潮文庫・伏見威蕃訳、以下同じ、下巻P.402)

 人間は何があっても生きていくものだ・生きていくことができるものなのだという、ジョード一家のおかみさんの宣言です。これは何度読んでも胸が震えます。
 文体について言うと、車を修理する場面(上巻P.339~)はもう呆れるくらい入念に修理のひと手間ひと手間を描いてます。どの場面もそんな調子なので、現代日本文学に多い、スラスラ読めるライトな文体に慣れた人には少々とっつきにくいかもしれません。ですがあえてできるだけ短期決戦で読んでください。文体のまだるっこしさがいつの間にか迫真のリアリティに化けていますから。そうなればしめたもの、これほどエキサイティングな文学作品にはめったにお目にはかかれません。 また、「貧乏人みないい人、金持ちみな悪い人」という単純な図式にはこの作品はのっとっていません。例えば小作農を追い出す銀行員のセリフ。

銀行の人間はみんな銀行がやることを嫌がってるんだが、それでも銀行はそれをやる。銀行は人間をしのぐものなんだ。巨大な怪物なんだ。人間がこしらえたんだが、もう制御できなくなってるんだ。(上巻P.67)

 貧乏人を苦しめている側の人間も苦しんでいるという深い現実認識です。一方で随所にユーモアもちりばめられ、息詰まるようなドラマの合間に息抜きをさせてくれます。第2章でトム・ジョードがトラックに便乗させてくれと頼む場面や、第22章に描かれる初めて水洗トイレを目にした子どもたちの反応など。 他にも、ジョード一家の一人ローズ・オブ・シャロンにキャンプの女性が罪だなんだと難癖をつける場面やダンスパーティーでトムがうっかり婚約者のいる女性に声をかける場面、ジョンおじが死んだ赤子を川に流す場面、あるいはジョード一家を描く章とアメリカ社会の現状を描く章が交互に現れる構成など、本作の魅力をあげればきりがありません。それらが『怒りの葡萄』を単なる社会問題の告発チラシではなく格調高いエキサイティングな文学作品にしています。ちなみにこの作品は禁書処分を受けた本を100冊紹介した『百禁書』にも紹介されています。

「禁書処分を受けたのですか?それはまたどうして?」

 詳しくは『百禁書』に譲りますが社会批判の痛烈さ、とりわけ大資本に対する徹底した批判のためです。発表当時は大絶賛と猛烈な非難の両方を巻き起こし、禁書にしろという運動が起きたり一部の図書館から撤収されたりしました。私が読んだ本や好きな本が「〇〇の選ぶ10冊」とか「××なら読んでおきたい20冊」とかいう類のリストに入っていたためしはほとんどないのですが、何故か『百禁書』には『怒りの葡萄』含め10冊以上入ってました。

まとめ

 大好きな作品だけに力が入っていつにない長文になってしまいましたが、『怒りの葡萄』は本当に名作です。格差社会と搾取への激しい怒り、人間への深い愛と信頼、そしてユーモアが渦巻く一大叙事詩。それが『怒りの葡萄』です。 なおアメリカン・ロックの大物ブルース・スプリングスティーンが1995年に、本作の主人公トム・ジョードを題材にしたタイトル曲を含むアンプラグドアルバム『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』を発表しています。アメリカ社会のゆがみに対する静かな怒りに満ちたアルバムで、特にタイトル曲は何度聴いても胸にしみるものを感じます。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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