『羆嵐』(吉村昭)戦慄と深い余韻のドキュメンタリー小説

目次

先にまとめから

 2023年の秋から冬にかけて、日本各地で熊の目撃情報や熊に遭遇してけがをするなどの被害が相次ぎました。時はさかのぼって大正4年(1915年)12月北海道で羆(ひぐま)が開拓地を襲い7人を殺した、日本の獣害史上で最悪の事件「三毛別事件」が発生。この事件を描いた吉村昭『羆嵐』(くまあらし)は、そんな今読むとタイムリー過ぎて震えがくるかもしれません。

 ですが本作はただ怖いだけかと言ったら答えは

「No!」。

  人間の無力さ、集団のもろさ、深い人物造形、そして自然の冷酷さや羆の生態を描くリアリティなどがかみ合って複雑な魅力を生む、味わい深いダシの利いた極上のスープ(ただし辛口)のような作品です!

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美濃達夫さんとの会話

「なにわt4eさん、先日教えて頂いた『ともぐい』読んでみましたよ」

 どうでしたか?

「すごくおもしろかったです! 何と言いますか、読むこと自体が大冒険みたいに興奮しました」

 嬉しいですね、それはよかったです。

「ところで、あの時何か他の作品にも触れておられましたよね?」

 ああ、吉村昭『羆嵐』ですね。40年近く前の作品ですが、これも迫力満点の作品ですよ。

「それも熊と人間が闘う話ですか?」

あらすじ

 ええ、ただ大きな違いがあります。『ともぐい』がフィクションであるのに対してこちらは実際に起きた事件を題材にしています。

 大正4年(1915年)、北海道北西部の三毛別川沿いにある開拓地・六線沢に巨大な羆が現れ7人の村人を殺害、そのうち成人女性は食い殺された三毛別事件が起きました。とうてい自力では対抗できない村人は当初警察を頼りますが、それなりに統率も取れて射撃の訓練も受けているものの山と羆については彼らも素人で、結局は右往左往。六線沢の区長は警察の顔をつぶす覚悟で手練れの猟師・山岡銀四郎に羆の射殺を依頼します。引き受けてはくれたものの、彼は子ども時代から粗暴で、妻子に去られて以来呑んでは暴れる人格破綻者でした…。

『羆嵐』の魅力とは?

「こっちもすごくおもしろそうですね」

 ええ、『ともぐい』とはまた違った迫力と余韻があります。具体的にお話ししましょう。

・自然の凶暴さ・冷酷さ
・銀四郎の人物造形
・区長のリーダーシップ
・はみ出し者が危機を救うが、結局ははみ出し者扱いのまま

自然の凶暴さ・冷酷さ

「自然の厳しさを描いた小説なら他にもたくさんありそうですが?」

  美濃さんのおっしゃる通りです。ただ本作で描かれる自然は、厳しいだけでなく人間を裁くことさえします

しかし、かれらの生活は、その地の土壌に仮の根をのばしはじめていたにすぎなかった。(中略)かれらはそこまで土の信頼を得るに至ってはいなかった。(P.24)
しかし、自然はかれらに大きな代償を強いた。先住者である羆を擁護する立場に立ち、村落の者たちを容赦なく死におとし入れた。それは、村落の者に対して加えられた制裁のようにも思えた。(P.67)

「新参者でしかない人間を追い返すために自然が羆の味方をした、と読めますね。いつかご紹介いただいた『八甲田山死の彷徨』(←本ブログの紹介記事へ飛びます)を思い出しました」

 そうですね。『八甲田山~』でも自然は人間を拒否しましたが、これも相当に凄まじいです。そして羆の怖ろしさですが、私は以下の一節を読んで背筋が凍り付きました。

それは、あきらかに羆が骨をかみくだいている音であった。
うめき声はきこえなかった。家の内部が静まりかえっているのは、人がすでに死亡し、羆が遺体を意のままに食いつづけていることをしめしていた。(P.61、ふりがなは原文のまま、以下同じ)

「…今夜夢に出ちゃったらどうしてくれるんですか」

銀四郎の人物造形

「銀四郎は人格破綻者と言うことでしたが、詳しく教えてください」

 彼は子ども時代から力自慢の乱暴者として近隣の鼻つまみ者だったんです。兵隊時代は軍隊でひどい扱いを受けたらしく帰還後はおとなしくなって、結婚もしたのですが妻の失踪以来は酒と暴力に明け暮れるようになりました。

「『ともぐい』の熊爪はただのコミュ障でしたが、銀四郎はけっこう問題人物のようですね」

 そんな銀四郎ですが、村民に助太刀を頼まれて六線沢にやって来た時は

「災難だったな」
と言い、おもむろに軍帽をぬいだ。その仕種しぐさには、死者に対する哀悼がにじみ出ていた。(P.155)

と、不思議な思いやりを見せています。また結末近くで区長が銀四郎の人柄や酒癖に対して考察するのですが、ここは銀四郎の複雑な面がかいま見えてとても興味深いんですよ

「と、おっしゃいますと?」

 そこは読んでいただいてのお楽しみと言うことにしておきましょう。

「ははは、分かりました」

区長のリーダーシップ

「区長が優れたリーダーということですか?」

 少なくとも、その可能性は高いと思いました。

「具体的にはどんなところを見てそう思われましたか?」

 詳しいことは省きますが、以下のようなところです。

・鼻つまみ者とかかわる危険や警察のメンツをつぶして恨みを買う危険をおかしてでも銀四郎を招いた決断力(P.110)
・必要な手段・可能な手段を片っ端からとれる行動力(P.111、P.216)
・村民に痛い決断をのんでもらえる信望(P.215)
・あなただけが頼りだと訴える率直さ(P.155)
・腰を抜かして笑われても案内役を務め続けた勇気(P.194)
・銀四郎の本質を考察する洞察力(P.214)

決断力があって、自分のメンツや利益にこだわらなくて、人の本質を見抜く…確かに、そういう人って優れたリーダーかもしれませんね。私も部下や後輩に対してはそうでありたいと、今お話をお聞きして思いました」

はみ出し者が危機を救うが、結局ははみ出し者扱いのまま

「銀四郎は村に迎え入れられたわけではなかったんですか?」

 そうはならず、また孤独な暮らしに戻りました。日頃の行いが災いしてのことではありますが。こういう「はみ出し者が危機を救うが、結局ははみ出し者扱いのまま」というテーマって映画などで時々見かけますね。黒澤明の代表作『七人の侍』は農民に頼まれて寄せ集めの元武士が野盗を撃退する話ですし、アニメの『妖怪人間ベム』も人工的に造られた生命体・妖怪人間が本物の妖怪退治を続けつつ放浪します。

「西部劇でもそういう話って多そうですね」  

 よくは知らないんですが、そんな気はします。ただ無責任な読者や観客からすれば、はみ出し者扱いのままで終わってどこかへ消えていくからこそ深い余韻が残るのかもしれません。

区長は、かれの体が闇の中にとけこんでゆくのを身じろぎもせず見送っていた。(P.217)

「なにわt4eさんのご感想をお聞かせください」

 動物ホラーとしてももちろん一級品なのですが、それだけではない様々なおもしろさがありました。先ほど「自然の冷酷さ」とお話ししましたが、作者が人間を見つめる視線にはどこか温かさや共感もあるように思います。羆に妻子を殺された斎田を作者はこう描写します。

その体を棺からとり出したかれは、激しい泣き声をあげた。そして、周囲に膝をつく村人たちを憤りにみちた眼で見まわしていた。(P.78)

 この言葉が私には、斎田と彼の妻子に対する手向けのように思えるんです。また銀四郎をただ呑兵衛の荒くれものと切り捨てるわけでもなく、区長を羆や銀四郎に翻弄されるだけの小役人扱いするわけでもない。どの人物に対しても作者は厳しくも温かい目で見つめている。そんなところも大好きですし、だからこそ深い余韻が残ります。 先日ご紹介した河崎秋子『ともぐい』との読み比べもおもしろいですよ!

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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