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(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)
「なにわt4eさん、いつでしたか『火車』という本をあげておられましたね?」
ああ、『本当の貧困の話をしよう』や『蟻の棲み家』(←当ブログの紹介記事へ飛びます)をご紹介した時ですね。
「はい。あれ以来『火車』も気になってるんですよ。とても有名な小説みたいだから取り引き先の方も読んでおられるかもしれないし」
なるほど、それで興味を持たれた?
あらすじ
「ええ。貧困がテーマということでしたね」
貧困と言うか、厳密には借金がテーマです。怪我で休職中の刑事・本間俊介は遠縁の男性・栗坂和也から婚約者・関根彰子の調査を頼まれます。彰子が失踪したので探してくれ、というわけです。ところが俊介が調べてみると、和也の知っている関根彰子は関根彰子ではありませんでした。関根彰子の名前と身分をわがものにした別人だったのです。それでは和也の婚約者で失踪した女性は何者なのか?なぜ・どうやって関根彰子になり代わったのか?本物の関根彰子はどうなったのか?
「そこに借金がどう関係あるんですか?」
関根彰子に自己破産歴があることが判明したんです。これは偽彰子・新城喬子にとって誤算でした。そして喬子も借金で地獄のさなかにいました。
「他人になり代わることで地獄を脱出しようとしたけれど、なり代わった人物は自己破産歴があると分かったので喬子は進退きわまって失踪した?」
そうです。
借金地獄は他人事か?
「関根彰子が自己破産した原因は何ですか?」
簡単に言えばクレジットカードの使い過ぎです。ただここを正確に理解していただきたいのですが、彰子は浪費癖が激しかったとか、頭が空っぽだから金を使いまくったとかいうわけではありません。作中に登場する弁護士・溝口は、多重債務で首が回らなくなるのは本人が無計画でいいかげんだからだという、いわゆる自己責任論の誤りを指摘します。なお溝口の言葉は作者が取材した実在の弁護士・宇都宮健児氏の言葉だそうです。
現代のこの世の中で、クレジットやローンのために破産に追い込まれるような人たちは、むしろ非常に生真面目で臆病で気の弱い人たちが多いんですよ。(新潮文庫、ふりがなは原文のまま、以下同じ。P.205~206)
「今目の前で火の手があがって、大勢の人間が助けを求めているんですよ。それを目のあたりにして、梯子車の駐車違反をうんぬんしていることはできません。まず救ける。それから、改正するべきところは正していったらいいんです」(P.234)
宇都宮氏が一字一句違わずこう言ったのかどうかは分かりません。宇都宮氏の言葉を作品に溶け込む言葉に置き換えればこうだと考えるのが妥当でしょう。ともあれ、これはクレジットやサラ金で借金地獄に落ちた人を何百何千人と見たプロ中のプロが言った言葉だという現実は頭に刻み付けるべきです。発表が1992年ですので現在とは色々異なるところもありますが、根本はほとんど変わっていないでしょう。ちなみに宇都宮氏はご存命です(本書評執筆当時)。
また喬子も、関根彰子とは形の違う借金地獄にいました。若い女性が闇の取り立て屋に身柄を確保されて、となると残念ながら考えられることは一つです。そこから命からがら逃げだしたものの、地獄の庭先を少し移動したに過ぎませんでした。
『火車』の魅力、おもしろさ
「なんだか凄まじい物語のようですね」
ええ、凄まじい物語です。彰子や喬子が生きていた地獄の凄まじさもさることながら、彼女らがいかに孤独だったか、彼女らの地獄が私たちにとってもいかに身近か。それらがとても切実に伝わるんですよ。土台にあるのは宮部みゆきの諦念と共感に満ちた人間観察です。とりわけ、孤独な逃亡を強いられた新城喬子の人物造形にそれがうかがわれます。
栗坂和也のもとから、あるいはローズラインの片瀬の前から姿を消したときの、あの非情さ。身の軽さ。それが、彼女があらゆる意味で孤独であるという印象を生んでいた。(P.449)
一度はつかんだと思った生活が、消えてゆく。引き止めようとして、あまりに強く握り締めたために、彼女の手のなかで粉々に砕けてしまった──
本間の想像は当たっていた。新城喬子は孤独だった。苛酷なほどにひとりぼっちで、骨を嚙む冷たい風は、彼女一人にしか感じることのできないものだった。
どうかお願い、頼むから死んでいてちょうだい、お父さん。(P.539)
そんな彼女と離婚したものの今なお彼女の身を案じる元夫・倉田の言葉。
「だけど、七五三縄も取り立て屋を防いではくれませんでした」(P.542)
彰子がひととき身を寄せていた知人・富美恵の言葉。
「(前略)人生なんて、そう簡単に変わるもんじゃないから」
「いい方にはね」と、本間は口をはさんだ。
「そうね。いい方には」と、富美恵が薄く笑った。(P.483)
かと言って宮部みゆきは諦念や共感にかこつけて身動き一つ取ろうとしないわけではありません。そこから一歩を踏み出そうとする決意も表明しています。殺された犬のボケを悼む小学生の息子・智を見つめる本間の独白です。
だが、もう二、三年したら、きちんと教えておかなくてはなるまい。これから先、お前たちが背負って生きぬいてゆく社会には、「本来あるべき自分になれない」「本来持つべきものが持てない」という芬懣を、爆発的に、凶暴な力でもって清算する──という形で犯罪をおかす人間があまた満ちあふれることになるだろう、と。
そのなかをどう生きてゆくか、その回答を探す試みは、まだ端緒についたばかりなのだということも。(P.582)
こうした力強さにも私は惹きつけられます。他にも『火車』には興味深いポイントが数多くあるんですよ。
「どんなことですか?」
東京在住の本間は調査のためたびたび大阪に足を運びますが、ここの描写のため東京出身の作者は髙村薫に協力を仰いでいます。髙村薫は大阪出身で、『黄金を抱いて翔べ』『照柿』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)でいわゆるディープな大阪を描いてるからでしょう。そのせいか、こんな愉快なセリフがあります。
「あかん。これだから東京の男は根性ないわ」(P.273)
「俺はお好み焼きもうどんも阪神タイガースも嫌いだから大阪には住めん」(P.446)
私は個人的に「軽妙洒脱に人情を描く宮部みゆき・重厚緻密に人間を描く髙村薫」という勝手なイメージを抱いているので、宮部みゆきが髙村薫に協力を仰いだことをとても興味深く感じます。
また、「他人の身分をのっとる」というテーマで書かれた宮部作品は他にもあります。タイトルは失念しましたが連作短編集『ステップファザー・ステップ─屋根から落ちてきたお父さん─』(Amazonの紹介ページへ飛びます)に、ある女性を監禁して名前と身分をのっとろうとする話が収録されています。宮部みゆきにとって「他人の身分をのっとる」は重要なテーマなのでしょうか?たくさんは読んでいないので分からないのですが。
智の非常に丁寧な描写は、先に挙げた『ステップファザー・ステップ』など宮部氏の若年層向け作品をうかがわせます。これは幅広い作風を誇る宮部氏ならではの楽しみ方ですね。
感想
「なにわt4eさんはどんな感想を抱かれましたか?」
文庫本で700ページ近い大作ですが、全く退屈しません。語り口がじょうずなだけのカラッポ小説ではなく、借金という角度から見つめた社会と人間のあり方に、尋常ならざる説得力を感じるんです。ラストは賛否両論あるようですが、読者に破滅を予見させつつ「せめて祈ろうじゃないか、そんなことしかできないけれど」という作者のまなざしを感じて私は好きですね。
実は先日少し触れて以来、いつか美濃さんに『火車』のことを尋ねられる気がしていて、最近読み返したんですよ。
「そうだったんですか!?」
ええ、美濃さんのおかげでこの名作をもう一度読む機会ができました。ありがとうございます。
「こちらこそ、お役に立ててよかったです」
まとめ
私たちのすぐそばにある借金地獄の凄惨さ、彰子と喬子をむしばんだ孤独の冷徹さ、動かしがたい現実に呑み込まれる人物を見つめるまなざしの温かさ、そこにとどまろうとはしない強さ。そして時折みられる軽妙なユーモア。『火車』の魅力は非常に多面的です。新潮文庫表紙のイラストも、幸福に見放されて孤独な歩みを強いられるものに胸を痛める思いがひしひしと伝わる素晴らしいイラストです。1992年に発表されて2022年で90版を重ねるのも納得の本作は、すでにお読みの方にはもう一度、まだお読みでなくて「胸が痛くなる物語が読みたい」「お金の暗部を描いた物語が読みたい」方にはぜひともお読みいただきたい作品です。
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