『半分姉弟(はんぶんきょうだい)』第1巻(藤見よいこ)「…いちいち話そ 大丈夫に近づけてこ」

目次

先にまとめから~ハーフの人たちが感じている「きしみ」~

 2026年の衆議院選挙では「外国人問題」と呼ばれるものが一つの論点となりました。「外国人は出て行け!」と言う人がいたり、「いや、共生しよう!」と言う人がいたり。そこで言う「外国人」とはおおむね「仕事や勉強で来日する、国籍の面でも人種的にも日本人とは違う人たち」を指しているようです。

 では外国人と日本人をルーツに持つ人たちは? そして「日本の□□町に住んでる〇〇さん」として、彼ら一人一人は何を思い、どう生きているんでしょうか? 私も含めて日本人は「日本の□□町に住んでいて、外国人と日本人をルーツに持つ〇〇さん」のことを知っているでしょうか?

 本作『半分姉弟』はフィクションですが、彼らが日本社会との間で感じる「きしみ」を生々しく伝えてくれます。疎外感、屈辱、すれ違い……そして喜び、誇り、愛。

 十把ひとからげに「外国人」「ハーフ(※)」でまとめてしまわずに一人一人を見つめてみれば、今までとは違う景色が見えるかもしれません。少しだけ時間をとって、まずは見つめてみませんか?

※お断り:
 現在、ハーフという呼び方は使われることが減っています。「半分」という言い方にマイナスの響きがある、ステレオタイプにつながっている、そもそも和製英語である、といった理由です。ですがこの記事では、藤見よいこ氏の

・「ハーフ」という呼称に関しては、その意味合いに傷ついてきた当事者の方も多くおり、議論が存在します。本作品では、このような事実を踏まえた上で、今もなお多くの人が「ハーフ」という呼称を利用している実態を反映させ、また、呼称のもつ「半分」という意味合いを改めて問い直す意図から、あえて使用しています。(『半分姉弟』第1巻より)

という意向を尊重して、複数の民族にルーツを持つ人をハーフと呼んでおります。ご理解の上、記事と作品をお読みいただければ幸いです。

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、先だって(2026年)の衆議院選挙は本当にせわしなかったですね」

 ええ、何しろ解散から投票までがたった16日でしたから。考える暇もありゃしない、というのが実感です。

「ところでその選挙では、と言うよりそれより前からですが、『外国人問題』という言葉をよく聞きましたね」

 そうでしたね。ゴジラや裏金じゃあるまいし、『問題』という呼び方にはいささか疑問も感じますが。

「で、ある時思ったんですが、これが『日本人と外国人の間にある問題』だとすればいわゆるハーフの人たちについてはどうなんでしょう。全く語られてないような気がするんですが」

 あ、言われてみればそうですね。そう言えば、ちょうど最近ハーフの人たちをテーマにしたマンガを読んだんですが、とても読み応えがありました。

「何と言う作品ですか?」

 藤見よいこ『半分姉弟』です。「はんぶんしてい」ではなく「はんぶんきょうだい」と読みます。

あらすじ──彼らと日本社会の「きしみ」

「どんな作品ですか?」

 互いにつながりを持つ人物やその周辺の人物が1話ずつ順番にクローズアップされる一話完結に近い形式で、彼らが日本社会との間に感じる「きしみ」を描く作品です。

「『きしみ』?」

 そうです。様々な「きしみ」がありますが、いくつかピックアップしてお話ししましょう。

第1話「米山和美マンダンダ」

 和美マンダンダは日仏のハーフです。彼女は小学生時代に「米山の手ぇ茶色で汚いけん繋ぎたくねー!!」と同級生に吐き捨てられ、その怒りやくやしさを「うんこやぞ つけてやる…!!」とおどけてごまかしてしまいました。それ以来、あからさまな差別であれマイクロアグレッション(※)であれ、お調子者を演じて無理やり笑いに変えることで内心にこみあげるものを呑み込んでしまっていました。

「『きしみ』とおっしゃる意味が何となく分かりました。ハーフとして日本社会で生きる中で日常的に経験している、引っかかりと言うかズレと言うか、見過ごせないけどどう解消していいか分からないもの、ということになるでしょうか」

 私も、正確にどうご説明していいか分かりませんがおおむねそのような意味で言っています。

 また、和美には優太マンダンダという弟がいました。郷里で働く優太マンダンダは東京で働く姉の元を訪ねて「米山優太に改名した」と知らせ、「赤い魚の群に1匹だけ黒い魚がいる」物語に託して自分の思いを伝えました。

俺 ガキの頃あれすっげえ正しい●●●話やっち思っとって 黒い魚は誰よりも賢くて誰よりも泳ぐのが速かった やけん群れの一員として認めてもらえた めっちゃスポーツできるとか めっちゃ容姿整っとうとか めっちゃいいやつ面白いやつ 嫌な気分に、不安にさせんやつ 俺らは なんか特別群れにとって有用やないと一員にしてもらえんのやと思う(傍点は原文のまま)

「……それも『きしみ』なんですね、自分たちハーフは特別に高いハードルをクリアしないと認めてもらえないという」

 ええ、考え過ぎと一笑に付すことはできないと思います。

※……悪意なく無意識に行われる差別的な、あるいは偏見に基づく言動。よく挙げられる例としては「幼少期に外国から日本に移住して何十年も日本語を母語としている人に『日本語上手だね』と言う」といったものがある。

第2話「関口紗瑛子」

 美容師として働く紗瑛子は父が日本人、母が中国人です。紗瑛子は小学生時代に「じゃあさえこちゃんもガイジンなんだ」と言われて「みんなと同じようで違う」立場にぞっとし、それ以来母親とぎこちない関係でいました。

わたし自分が「ハーフ」だってことの悩みとか親に全然話したことないわ なんだかんだであなたにはホームがあるじゃんって思っちゃう

「母親は日本においては外国人であってもハーフではない、だからハーフである自分の思いは共有できないということですか」

 ええ。ただ、当の母親もそのことに悩んでいました。

一番近しい者すら理解者になれないなんて そんなの残酷すぎるんじゃない? あの子と同じ涙が流したい あの子と同じになりたい…(原文は中国語)

 紗瑛子は彼女が日中のハーフと知らないなじみ客の亀渕まりなに「中国人は声が大きくてうるさいからやだよね」と言われて動揺するんですが、これは第3話につながっていきます。

第3話「亀渕まりな」

 で、その第3話ですが、ここでは視点が加害者視点に移ります。

「先ほどの亀渕まりなですか?」

 はい。まりなは紗瑛子に「中国人は声が大きくてうるさいからやだよね」と言った後、SNSで紗瑛子の母親が中国人だと知って自分の無神経で差別的な言葉を後悔します。

「そりゃ後悔しますよね、次にどの面下げて会えばいいのかと思うでしょうし」

 ええ。しかも紗瑛子はかつて自分を全力で励ましてくれた人物でもあり、そのため余計に煩悶は深まります。

「で、まりなは?」

 それをここでお話しするのは控えたいと思います。ネタバレ回避と言うより、私も含めて読者が「自分がまりなの立場に立ったらどうするだろう?」と考えるのも、『半分姉弟』に対する誠実な読み方だと考えるからです。

「分かりました」

シバタの叫び

 実は第1巻には、作品全体を象徴するような場面があります。

「どんな場面ですか?」

 和美にはシバタという仕事上の相棒がいて親友同士でもありましたが、前述した「きしみ」は共有できずにもどかしい思いを抱えていました。ある夜、和美は親友のシバタとすら通じ合えない疎外感を泣きながらシバタに叩きつけます。

わたしシバタとふたりでいても ずっと息が出来ないくらいひとりだったよ!! どっか行けよ もうシバタといたくない

「で、シバタは?」

 ひととき怯みましたが、その場を去ろうとする和美に、シバタも泣きながらこう叫びました。

ふざけんな ぜってえどっかとか行かねえよ バ―――――カ

そして彼女らは抱き合い、しばらく夜の公園で過ごしました。

「……それ、お互いを理解したとか差別を乗り越えたとか、そういうのとは何となく違う気がしますね」

 私もそんな気がします。彼女らの交流は、理想でもお手本でもありませんがリアルで信頼はできる何ものかであり、差別だの偏見だのをブッ潰しています。「わたしはあんたをわからない、あんたもわたしをわからない。それでいいから一緒にいようじゃないか」これは『半分姉弟』が示す、一つの答えかもしれません。

引っかかったこと──あなたはどう思いますか?

 実は本作を読みながら、いくつか引っかかりを覚えたことがあります。

「それは何ですか?」

 一番の疑問点は、

・「私(たち)はハーフや外国人とどう向き合うか」という発想自体、「日本人←→ハーフ、外国人」つまり「私(たち)←→あの人(たち)」という分断になっていないか? 

ということです。これは『半分姉弟』に対する疑問と言うより、そもそも「共生」「向き合う」という発想自体に対する疑問です。

「うーん、言われてみれば一言では答えにくいことですね。ただ、『違うもの同士であることは事実だからそれでいいのでは』という考え方もできると思います」

 もちろん、そうとも言えるでしょう。ただ、ともすると「外から来て立場の弱い人たちを暖かく受け入れてあげましょう」という、上の立場からの恩情になっていないか? とも思えてきて、実のところどう考えていいのか今はまだわかってません。

「……そういうことを考えることがいわゆる『共生』の第一歩なのかもしれない、と今思いました」

かもしれませんね。唯一絶対の答えはおそらく出ないから考え続けるしかない、という気はします。

「他に引っかかったことは何ですか?」

 これも『半分姉弟』に限ったことではありませんが、こうした社会性の強い作品に対して

・他人の悩みを娯楽として消費していないか?

ということをたまに思うんです。

「確かに、私が和美たちの立場だったら『お前に考えてもらいたくて悩んでるんじゃねえよ』と思うかもしれません」

 私もです。だからこそ最低限、自分の身に引き寄せて読むことは忘れないようにしているつもりですが。他には、

・昨今見られる、ノリや娯楽で差別できてしまう風潮

です。

「そう言えば、SNSなどで見られる差別的な言動にはものすごくお気楽に発信しているとしか思えないものも多いですね。もちろん、真剣だろうがお気楽だろうが差別はそもそも許されませんが」

 そうなんですよ。考えようによってはお気楽なノリの差別の方がやっかいかもしれません。誰かのたった一言で、誰かの尊厳を踏みにじる方向に大きく振れてしまうわけですから。

なにわt4eの感想+本作のおもしろポイント

「そう言えば、なにわt4eさんが『半分姉弟』を読まれたきっかけは何ですか?」

 ビッグイシューのvol.515で紹介されていて、それで興味を持って読んだんです。そこで藤見氏の言うには、最初に見せた編集者にはテーマが重すぎると言われたが次にトーチwebという、現在本作を連載している媒体の編集者に見せたところ「主人公がおとなしすぎる。もっとさらけ出せるでしょ?」と言われて「ここなら自分のやりたいことができると確信」したそうです。

 それだけあって本作ではハーフの当事者たちが、悩んだり泣いたりする一方で飲んだくれるわバカ笑いするわ笑顔で「ぶっころすぞ」と言うわ、そりゃもう賑やかです。そういう意味でもリアルなおもしろさがありますね。差別を許さないのは前提として、「差別、ダメ、ゼッタイ」というだけの作品じゃない。

 加えて、あちこちで熱量満載のギャグやネタが炸裂してます。 

「え、例えば?」

 話の本筋とは無関係に酒や料理を熱く語ったり、有名なネットミームのパロディをぶちかましたり、ネタやユーモアの熱量もとてつもなく高いです。特に第4話での主人公・沼田瑠詩愛(るしあ)が仕事の修羅場を迎えている時のBGMチョイスには笑い転げました。
 藤見氏自身、先に挙げたビッグイシューの特集で「かなり意識的に入れていますね。エンタメとしても成立することを証明したくて」「人生で、落ち込んだ時に励ましてくれたのは、まじめな名言よりも、友達が言った下品な冗談だったり、不謹慎なギャグだったりすることが多かった気がして」と語っています。

「シリアスとネタのギャップ萌えってことですか」

 ははは、そういうことです。ともあれ、実はどこにもいやしない架空の「ガイゴクジン」に対してああだこうだと考える前に、ひとりひとりをリアルに見つめるきっかけ、あるいはその疑似体験として、『半分姉弟』を読むことはとても有意義で、そしてゆかいな体験になりうると思います。
 そして、今後どんな「日本の□□町に住んでる〇〇さん」が描かれるのか、どんな「きしみ」を私たちは見ることになるのか、第2巻以降も見つめていきたいと考えています。


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『半分姉弟』をもっと深く味わいたい方へ

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『アメリカとアメリカ人』ジョン・スタインベック
『怒りの葡萄』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の著者がアメリカとアメリカ人の病巣をえぐる一冊。

われわれがいま道で話しかけた人間が黒人だったか白人だったか思いだせないようになるまでは、北部にしろ、南部にしろ、奴隷制度がわれわれの社会に残した傷跡トラウマは克服されないだろう。(平凡社ライブラリー版P.96、ふりがなは原文のまま)

という一節は『半分姉弟』のような模索を続けた先にあるものを指しているのかもしれません。

『夜の大捜査線』
 映画、それもけっこう古い作品ですが今見てもめちゃくちゃカッコいい。フィラデルフィアの敏腕黒人刑事が田舎町の白人署長と協力して殺人事件を捜査するはめになるのですが、差別意識やプライドゆえに彼らは頻繁に衝突します。果たして捜査の行方は?
 ヴァージル・ティッブス刑事が、黒人だからと軽々しくファーストネームで呼ぶなという意味で言った‟They call me Mr. Tibbs”(ミスター・ティッブスと呼んでもらおうか)は今も黒人差別への抗議を象徴する名セリフとして語り草になっています。

『やさしさいっぱいの土の上で』アボガド6
 本ブログでもご紹介しましたが(こちら)、人間・クローン・ロボットが平和に共生する世界を模索する本作は「共生にはしっかりした決意が欠かせないこと」「違うもの同士の共生は大変だけど不可能じゃないこと」をポップな筆致で伝えてくれます。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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