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こんにちは。なにわt4eです。洋書チャレンジ、めでたく2回目となりました。今回は謝辞・プロローグ・第1章を取り上げます。
※お断り 洋書チャレンジの記事において、引用文は特に断りがない限り全て私の訳です。
これで夢中になりました!
ミッジ・ユーロがボブ・ゲルドフと並ぶバンド・エイドの発起人であることは前回触れましたが、プロローグにはそれに関するこんな記述がありました。あるライヴの終了後、ミッジ・ユーロが手渡された一枚のカード。カードには19歳の黒人少女の写真、反対側にはこんなメッセージが記されていたのです。
あなたは私をご存じないでしょうけど、この少女はバンド・エイドのおかげで教育を受けられたのです。(P.1)
私のハートをわしづかみにした一節です。のっけからこんな素敵な一文を読まされた日には、投げ出すなんて無理でしょう。だからミッジ・ユーロが語ったこんな言葉にも大変説得力があります。
音楽が魂を高めてくれる。音楽で心が慰められたり安らいだり…命が救われることもある(P.1)
ミッジ・ユーロの少年時代
彼はスコットランドのグラスゴーで貧しい労働者階級の家庭に生まれました。少年時代から一貫してミュージシャンになりたいと願い、エリック・クラプトンやスティーヴ・マリオットに憧れるギター少年でした。
こんな凍り付くほどの空気を呼吸するのに慣れてしまったものだから、いまだに暖かい部屋では眠れない。(P.3)
暖房設備も満足にない長屋暮らしの名残というわけです。ただ貧しいなかでも一家そろっておしゃれを楽しんでいました。両親がそもそもおしゃれさんだったようです。ミッジ・ユーロのダンディぶりは両親の影響でしょうか。なお今回の「洋書チャレンジ!」で調べて初めて知りましたが、英語でdandyという言葉は「おしゃれしか頭にない軟弱者」というマイナスイメージのある言葉だそうです。だから私の記憶している限り、本書にこの言葉はありません。 彼のお父さんはパン屋さんの運転手をしてました。パンの配送かな? (はい、そうです…スミマセン)お母さんは専業主婦、結構厳しいお母さんだったようです。お父さんは彼にこう語りました。
手に職をつけろ、息子よ、そうすれば仕事にあぶれることはない。私は手に職がない、その結果がこれだ。(P.14)
お父さんの忠告に納得はしつつも彼は振り返ります。
他の何よりも私はミュージシャンになりたかった。(P.14)
次の第3回ではいよいよミッジ・ユーロがミュージシャンとしての第一歩を踏み出します。お楽しみに!
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