「『神様』のいる家で育ちました」(菊池真理子)宗教って何?何のためのもの?

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(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、宗教2世と言う言葉をご存知ですか?」

 ええ、最近知りました。特定の信仰を持った親から自分も同じ宗教を教えられている人、と言うような意味だったと思います。

「あまりいい意味で使われてはいませんよね」

 私も、どちらかと言うとネガティブな流れで使われることが多いと思います。

「ポジティブだったら語る必要がないからでしょうけど。で、マンガでその宗教2世を扱ったノンフィクションがあるそうですね」

 菊池真理子「『神様』のいる家で育ちました」ですか?

目次

「そう、それです。どんな本ですか?」

 自分自身も宗教2世であるマンガ家の菊池真理子が、自分を含め宗教2世7人の体験・悩みをまとめた作品です。

宗教内でしか通用しない価値観の下 日々を過ごしています
「世の人は悪魔だ」「無神論者は地獄に堕ちる」「素晴らしい教えで救ってあげよう」でもみんなの方がずっと幸せそうに見える…(ともに「はじめに」)

 そういう思いを抱いていた人の存在が語られるのは今に始まったことではありませんが、クローズアップされたのはやはり安倍元首相の殺害事件がきっかけでしょう。ただ、「はじめに」によれば取り上げ方はピンボケで大きなムーブメントにも至らず、結局はうやむやになるのではないかと菊池氏は危惧していました。それでも宗教2世の存在だけでも伝えたいと、イベント開催などをしていました。そこへある出版社から「宗教2世のマンガを描きませんか?」と声がかかったそうです。
 どの人の話も、宗教名を名指しはしてませんが新宗教に少し知識のある方なら「これは〇〇教のことだな」と分かります。そこをぼかす描き方もできたでしょうが、菊池氏はぼかさずに描いてます。

「ぼかしてしまうと一人一人の悩みや困難があいまいになってしまうから?」

 あくまで私の推測ですが、そうだと思います。なお先ほど新宗教と言いましたが、第4話は新宗教ではなくオーソドックスなキリスト教の教会の話みたいです。ただ、戒律に厳格で保守的な教会とのことなので、多少毛色の変わった教会なのかもしれません。

「作品中にはどんな方が描かれていますか?」

 信仰からも親からも離れた人がいたり、信仰からは離れたけど親とはむしろ仲良くなった人がいたり、未来に希望が持てない人がいたり、様々な方が登場しています。彼らは例えば、

 ・大好きな親に喜んでほしくて宗教活動をしてきたけど、そんな自分の家庭はほかの子たちとあまりに違う。
 ・学校でも家庭でも、仮面を使い分けている気がする。
 ・自分たちの宗教を信じてないけど優しい人もいる。彼らは地獄に落ちるの?

などのように悩み、葛藤しています。もちろん詳しくは一人一人で違いますが、

神や仏に愛されるよりも 私たち 親に愛されたかったんだから(第7話)

これは誰にも共通しているんじゃないでしょうか。

「宗教が家庭の平和に結び付いてないような…」

 そう思いたくなる家庭はたぶんたくさんあります、残念ながら。

「日本で、実在の宗教や教団について描くのはけっこう勇気がいることでは?」

 私もそうだと思います。事実、本書もネットで連載中にある宗教団体から抗議を受けて全話が公開停止になりました。ただ、連載中に読んでいた文藝春秋の島田氏から続きをうちで描かないかと声がかかり、完結から出版に至ったと「あとがき」に書かれています。

「…そういういきさつに、宗教2世を取り巻く現状が凝縮されてませんか?」

 そうかもしれません。菊池氏もこれが現状だと書いています。ただ、菊池氏と島田氏の

「信者の宗教感情を傷つけ」るから2世の傷つきはなかったことにしろなんて絶対おかしいのに(菊池氏)
個人が本当に苦しんだことをなかったことにしてはいけません たくさんの人に読んでほしいマンガだと思いましたしね(島田氏。ともに「あとがき」)

という思いが本書を形にした・宗教2世の思いを世に届けた、とも言えるでしょう。

「なにわt4eさんはこの本を読んでどう思われました?」

 本書でも書かれていることですが、「宗教」は今の日本ではとかくタブー視されたり腫れもの扱いされたりしがちです。しかし、特定の信仰を持つかどうかとは別に「宗教って何だ?何のためにあるものなんだ?」ということは真剣に考えなければいけないでしょう。宗教2世の苦しみをなかったことにしないためにも。また、宗教2世に限らず宗教のために苦しむ人を一人でも減らすためにも。

「なにわt4eさんは、宗教って何のためのものだと思われますか?」

 あくまで個人的な意見ですが、私は

 ・宗教は人間が幸せに、優しく生きるためにある。
 ・「信じない奴は地獄に落ちる」は信じるな。

と考えています。神様や仏様が本当に慈悲深い存在であるならば人間を地獄に落としてはならないし落とすはずがない、「信じない奴は地獄に落ちるぞ」と脅すようならそれは宗教じゃなくカルトだからすぐ逃げるべきだ、と。
 あと、宗教2世の中学生がさりげなく次兄が部屋に置いてくれたCDを聞いて

俺に歌ってくれている!!(第1話)

と涙する場面には本書のテーマと違う意味で胸を打たれました。苦しんでいる人の救いになってこそロックだ、と思っちゃったんです。これはこれで暴論ですけどね。
  これも本書のテーマからは外れますが、いろいろな伝統宗教の揚げ足を取って論破を気取っている人に対してはこう思います。「仏教にしろキリスト教にしろ、他の伝統宗教にしろ、あなたに論破できるほどちっぽけなものではありませんよ。そうでなければ何千年も受け継がれるわけがないでしょう?」と。

まとめ

 あとがきで菊池氏はこう述べています。

たぶんこの本が出たって社会が劇的に変わることはないだろう(中略)ひとりで泣いたら悲しいだけ でも10人で 100人で泣いたら泣き疲れた後に少し笑えるかもしれないから 私たちのことを知ってください

 私はこれを読んで中島みゆき「With」を思い出しました。

ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない

 言い換えれば、誰かが一緒にいてくれたら笑えるかもしれませんよね。また、キリスト教で言う神の国、つまり天国とは何ぞやということについて富田正樹と言う牧師が著書『信じる気持ち はじめてのキリスト教』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)でこのように書いています。

私たち人間が、お互いに愛情と信頼でつながりあうならば、そのような人と人の美しい関係は、まさに神の国にいる状態だということなのです。ですから、私たちが神の国に入ろうとするなら、まず誰かを心から大切に思い、誠意をもって接することから始めれば、その入口に立つことになるのです。(P.112~113)

 宗教とカルトの違いなどと言ってもそれが宗教2世の救いになるかどうか分かりません。結局、人を救うのは人なんだなと、あまりにありきたりですが、ありきたりであるからこそ大切なことを思い出す本です。神様や仏様がそういう人を与えてくれることがいわゆる「救い」なんじゃないかな、とも私は思いました。 なお菊池氏は小沢カオル名義でブッちぎれたような実話四コマや体験ものの漫画も描いています。こちらも本書とは全く別の意味でおもしろいですよ。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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