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先にまとめから
デビュー作『同志少女よ、敵を撃て』で本読みの話題をさらった逢坂冬馬の第二作『歌われなかった海賊へ』は、ナチスが猛威を振るうドイツで抵抗運動を繰り広げた少年少女の戦いを描く気迫に満ちた現代史エンターテインメント!
・ナチスに関心がある方
・「人間にとって悪とは何か?」に関心がある方
・深い読後感のある小説を読みたい方
あなたがこれらのどれかに当てはまるならぜひ読んでいただきたい作品です。
美濃達夫さんとの会話
(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)
「なにわt4eさん、前に『日本人の知らないユダヤ人』(←本ブログの紹介記事へ飛びます)をご紹介いただきましたね。取引先の方があれを読まれて、とてもおもしろい本を紹介してくれてありがとうと言ってくださいました」
それはよかったですね、お役に立ててうれしいです。
「なにわt4eさんから教えていただいたこともちゃんとお話ししましたよ(笑)。ところで、あれがきっかけで私も何かナチスに関する本を読んでみたくなったんですよ。安直かもしれませんがユダヤ人と聞いてナチスのホロコーストを連想したもので」
そうなんですか。ナチスに関する本も星の数ほどありますからね…私が読んだ範囲となるとかなり限られますが。
「何か、入門書的に読みやすいものはありますか?」
小説ですが、ちょうど今ベストセラーになっている本があります。逢坂冬馬『歌われなかった海賊へ』です。
「まず、あらすじを教えてください」
教師クリスティアン・ホルンガッハーは生徒の問題でフランツ・アランベルガーのもとを訪れます。フランツは近隣で悪名高い偏屈爺さんでした。フランツは初めクリスティアンを邪険に扱いますがクリスティアンが恩師の孫と知るととたんに顔をほころばせ、ある原稿を託します。それはフランツが少年時代の体験を語り継ぐべくつづったもので、表題は『歌われなかった海賊へ』となっていました。
原稿の舞台は1944年、ナチス政権下のドイツ。父親がナチスに反逆したとして処刑された少年ヴェルナー・シュトックハウゼンは歳の近いレオンハルト・メルダース、エルフリーデ・ローテンベルガーと知り合い、彼らのエーデルヴァイス海賊団に参加します。エーデルヴァイス海賊団とは少年少女によるナチスへの抵抗運動です。ある日、彼らの村に鉄道が敷かれました。村はにぎわい始めますが、鉄道が村から不自然に遠くまで伸びていることを怪しんだヴェルナーたちは探索を開始します。その途上で少年時代のフランツや他のエーデルヴァイス海賊団に出会い、そして鉄道の終着点にあるものを発見します。それは強制収容所、と言うより絶滅収容所でした。これを見過ごせなかったヴェルナーたちの抵抗とは? 原稿をつづったフランツの思いは? これを託されたクリスティアンは?
「この本の魅力はどんなところですか?」
ストーリーのおもしろさやリアリティといったことは多くの方がすでに言っておられるので、私は魅力豊かな数々の名脇役に触れてみたいです。
・ドクトル
・フランツ
・アマーリエ
ドクトル
インパクトの強さはピカ一です。何しろ爆弾オタクですからね。
「爆弾オタク!? ずいぶんと物騒なオタクですね」
知識が豊富なだけでなく、拾った対戦車地雷から手製の爆弾を作る技術すら持っています。彼のノウハウや技術なしにヴェルナーたちの抵抗は成立しませんでした。なおドクトルとはあだ名で、本名は不明です。
「よくそんなのを仲間にしましたね。彼らはテロリストなんですか?」
いいえ、全く違います。なぜ爆弾を爆発させたいのかとヴェルナーに尋ねられてドクトルはこう語っています。
「人は誰しも爆弾を爆発させたいと思っているよ」(中略)「文字通りの意味で爆弾を爆発させたいと考えているのは俺だけだろうね。でもね、これは、えーと、比喩。つまりさあ、人はみんな爆弾を爆発させたいんだけど、俺はその爆弾というのが、本当に爆弾そのものであることが珍しいってだけなの。みんな、爆弾ではない爆弾を爆発させたいの。分かる?」(P.99~100)
「何らかの、どうしても実現させたい思いがあるということでしょうか。それなりに洞察力を感じる人物ですね」
ええ。そして終盤近く、ヴェルナーはドクトルについてこう語ります。
彼は自分で言った通り、文字通りの意味で爆弾を爆破させることに人生を懸けていた。(中略)ましてドクトルが陥った虚無は、それよりもなお強烈だったはずだ。彼の生涯を懸けた爆破は、もう終わったのだから。(P.306)
ドストエフスキーの長編に出てきそうな人物です。こんなドクトルと、後述するフランツが私は最もおもしろいと思いました。
フランツ
冒頭では偏屈爺さんとして登場するフランツは、原稿の中では能天気な10歳の少年です。ヴェルナーたちからすれば愚鈍の一言ですが、フランツなりに背伸びして彼らについていこうとしています。長じてフランツはこの事件について周辺の人たちから証言を得ようとするのですが、非常な難航を強いられました。それを彼はこう悔いています。
私が、終戦直後の未熟な年齢においてもう少し賢く立ち回っていれば、多少は証言を得られたのではないか、ということが悔やまれた。(P.350)
「…愚鈍な少年ということでしたが、悔やみつつ振り返るがゆえに自分を愚鈍と思っただけで実際にはかなり聡明な人物なのでは? こういう原稿を残したくらいですから」
あ、そうかもしれません! さすがは美濃さんですね、本当に愚鈍だったらこんな原稿を残すことすら考え付きませんよね。
アマーリエ
彼女は善良な小市民の代表と言えるかもしれません。
「どういうことですか?」
社会の良き一員として常識的で思いやり深いと同時に、ナチスの悪に対して沈黙を守り続け、愛国教育という形で加担すらしてしまった人物という意味においてです。
「確かに、ナチスだけが悪かったのかという議論はありますね」
ええ。それがゆえにフランツも、彼女を尊敬しつつも
アマーリエ・ホルンガッハー先生のことがどうしても許せず、彼女が自分に施した思想教育の中身を監督省庁に訴え出たり、その罪状を叫んだりもした。(P.350)
と語っています。これを人物造形のブレととらえるか人間観察の深さととらえるかは意見が分かれるかもしれませんが、私の解釈は後者です。
「なにわt4eさんのご感想をお聞かせください」
実を言うといくつかの不満点は残ります。一つ目、原稿がフランツの体験をつづっているはずなのにフランツが知らないはずの場面が山ほどあること。
二つ目、アマーリエの人物造形が多面的というよりあいまいに感じられること。教師としての優しさとナチスへの迎合に根っこに何があるか、という点に触れられていないからだと思います。なおこうした点については、詳細は控えますがブライアン・マスターズ『人はなぜ悪をなすのか』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)で非常に深い考察がなされています。
三つ目、誰かが言っていてなるほどと思ったことですが「ナチスだけが悪だったのか?」という現代的な歴史観を当時の少年少女が当然のように語っていて不自然に感じられること。
とは言うものの巧みな語り口や魅力的な名脇役たちにグイグイと引っ張られるエキサイティングな作品でした。著者はこう語っています。
巨悪が成立したとき、直接かかわっていた人物はほんの少数かもしれない。でも周辺には同心円状に無責任の輪のようなものが広がっていて、結果的に巨悪は見過ごされる。利害関係によって巨悪を見過ごす行為が今も続いていないかどうか考えてもらえたら本望です。(朝日新聞 2023.10.18)
「とても普遍的な、自分自身に向かってくるテーマですね」
私もそう感じながら読みました。ちなみに、本作ともナチスとも無関係ですが永井豪『バイオレンスジャック』にこんなセリフがあります。
悪をみのがすことも悪だ!(講談社KCスペシャル第3巻P.236、ふりがなは原文のまま)
「著者の言葉をさらに端的にまとめればその一言になるでしょうね」
私もそんな気がします。
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