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先にまとめから
孤独というテーマは一見月並みですが、カーソン・マッカラーズは誰もが宿命のように抱える孤独を描きます。都会人の孤独とか失恋した時の孤独のように、ある種の人やある時期に限っての孤独ではなく。
ろうあ者のジョン・シンガーを唯一の理解者として頼る者たち。その切ない信頼は報われるのか? シンガー自身が心のよりどころとするものは? 黒人差別や貧困という現在もまるで解消されていない社会問題を背景に、一人じゃないのに孤独な人間をストレートかつ念入りに、だけど優しく描いて読者と共に悩んでくれるカーソン・マッカラーズ。どこか武田惇志・伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(←本ブログの紹介記事に飛びます)を思わせる、淋しくも優しい、そしてパワフルな、彼女のデビューを飾った傑作がいま新訳で甦る!
美濃達夫さんとの会話
(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)
「なにわt4eさん、いつかご紹介いただいた『世界で最後の花』(←本ブログの紹介記事に飛びます)もそうでしたが、村上春樹って翻訳もたくさんしているんですか?」
ええ、訳書も多いですね。
「取引先の方が、村上春樹が訳して最近文庫になった本を読んでとても面白かったとおっしゃってたんですよ。どんな本か興味があるんですが、なにわt4eさんはご存知ですか?」
ええと…タイトルは分かりますか?
「何とかかんとか狩人、というタイトルなんですが…」
『心は孤独な狩人』?
「そう、それです!」
私も昔、違う人の翻訳で読んだことがあって、大好きな作品ですよ。
「どんな話ですか?」
アメリカ南部の名もなき田舎町に、スピロス・アントロプーロスとジョン・シンガーの二人が現れます。彼らはろうあ者でした。シンガーはアントロプーロスに献身的ですがアントロプーロスは精神を病んで入院します。物言わぬ、しかし唇の動きを読むことで相手の言うことは理解できるシンガーに町の人々は悩みや夢を語り、彼を理解者として頼るようになりました。音楽家志望の少女ミック、自分のロリコン傾向に悩むカフェ主人ビフ、革命を訴える機械工ジェイク、黒人の地位向上に燃える医師コープランド。彼らの周りでいくつも事件が起きます。ミック主催のパーティーの失敗。ジェイクの職場で起きた暴動。ミックの弟ババーの発砲。ビフの妻アリスの死。シンガーを取り巻く彼らはそれぞれシンガーに悩みや将来の計画を打ち明けます。シンガーこそが自分の理解者だと信じて。
ある時、シンガーはアントロプーロスの見舞いに行って彼の病死を知らされます。帰宅後にシンガーがとった行動は? そして町の人々は?
「この本を前に読まれたことがあるんですよね。どんなところがお好きなんですか?」
主な魅力や心に響いたポイントはこんなところです。
・報われない愛
・身につまされる孤独
・ほの見える希望
・構成のおもしろさ
報われない愛
『結婚式のメンバー』や『悲しき酒場の唄』(←Amazonの紹介ページに飛びます)もそうなんですが、マッカラーズの小説では愛は報われないし、脱出を願う人は脱出できずに終わります。『心は孤独な狩人』ではビフがミックに寄せる思いは(当然ながら)報われませんし、コープランドも子どもたちを愛してはいるのですが厳格過ぎてうまくいってません。労働者仲間に革命を説くジェイクも、ある意味で仲間を愛しているわけですが誰も彼を相手にしません。
「…だからと言って、何らかの意味で誰かを愛することをたいていの人はやめられませんよね」
まさにその通りです。報われなくても愛せずにいられないし、失敗した後でも相変わらず脱出を願わずにいられない。そんな人間に対してマッカラーズのまなざしはとても暖かく、共感でいっぱいなんです。
身につまされる孤独
この人は自分を分かってくれていると思っていたら実は何にも分かってもらえていなかった、なんていうことはありませんか?
「…全くない、とは言えませんね」
私も多少は身に覚えがあります。自分が誰かにそう言う思いをさせたこともあるかもしれません。この作品で描かれるのはそういう意味での孤独です。
なぜならある種の人間には時として、個人的なすべてを、それが発酵したり毒を含んだりする前に、そっくりよそに委託してしまおうとする傾向がみられるからだ。(P.56)
一言で言えば「なああんた、聞いてくれや」というわけですね。シンガーは筆談も手話もできますが、シンガーの周りの人が筆談や手話なんてするわけがないので、彼は常に聞き役です。それをいいことに彼らは好き放題に打ち明け話をします。
「当のシンガーは、彼らの気持ちをちゃんと分かっていたんでしょうか?」
いいえ、さっぱり。
彼はブラントと黒人医師との論争のことを考えた。その言い合いの論点が、彼にはどうしても把握できなかった。(中略)彼はそれぞれに同意の相づちを打ったが、彼らが自分にいったい何を是認してほしがっているのか、見当もつかなかった。そしてミック──彼女は思い詰めた顔をして多くを語ったが、彼にはそれが何のことなのかさっぱりわからなかった。(中略)よくわからない理由で彼を引き留めて、延々長話をする人たち。(中略)彼が口にする言葉のかたちは、シンガーにとってまったく見覚えのないものだった。(P.534~535)
「全然わかってないじゃないですか!?」
そうなんです、聞くだけ聞くもののシンガーは何も分かってません。興味すら持ってないかもしれません。そしてシンガー自身とアントロプーロスの関係にも同じことがうかがわれます。
「信頼が空回りする孤独、ということですか…」
ええ。私たちにしても、例えば赤ちゃんに語りかけたり犬や猫につらい気持ちを話したりすることがありますね。そのときの赤ちゃん、犬、猫もシンガーと同様にこちらの話を何も分かっていないかもしれません。ただ、これだけだと絶望的というか悲しいだけですが、そうでもありませんよ。
「どういうことですか?」
ほの見える希望
ジェイクは革命を訴えつつも町を離れ、音楽を志すミックは店員の仕事で糊口をしのぎます。二人を含め、シンガーにすら理解してもらえず敗北したように見える人物たちをマッカラーズはこう語るんですよ。
これは敗走なのか? あるいは反撃なのか? どちらにせよ進んでいくしかない。また一からやり直しだ。(P.580)
どう考えたって、それは意味を持つことであるはずだ。絶対に、絶対に、絶対に。みんな意味を持っているのだ。(P.588)
彼はそこで目にしたのだ。奮闘する勇猛な人間の姿を。永劫の時間に流されるごとく、人類が終わりなく推移していく様を。懸命に働くものたちの姿を、そしてただひたすら愛するものたちの姿を(P.595~596、ふりがなは原文のまま)
「…希望を捨てたわけではない、と聞こえますね」
私もそういう意味だと思います。この作品が発表された1940年と言えば第二次世界大戦前夜であり、ナチスがヨーロッパで勢力を拡大していた時期ですが、そのような時期にこんなことを書いたマッカラーズは根っこのところで楽観主義者なのかもしれません。
構成のおもしろさ
あと、構成もおもしろいんですよ。これについては村上春樹ではなく1972年に翻訳した河野一郎が解説で触れているんですが、『心は孤独な狩人』は音楽で言うフーガ(※)の手法が用いられているんです。
「フーガ? クラシックの用語ですか?」
はい。「理解者と思っていたはずのシンガーが何も分かってくれてない」というテーマがビフ・ミック・ジェイク・コープランドの4人に展開されていますが、これが音楽で言うフーガ形式と同じというわけです。河野一郎によれば作者自身が「対位法(※)的に組み立てられて」「遁走曲におけるそれぞれの声部のように、主な登場人物は一人ひとりが完全なものであるが──他の人物と対比され、編み合わされて、新しい豊かさを持つ」(新潮文庫旧版、P.455)という狙いを持っていました。元々音楽家志望だったマッカラーズらしい手法です。
(※)
フーガ…メインのメロディーをいくつものパートが演奏する手法。メロディー同士が逃げたり追いかけたりするように聞こえるのでフーガ(イタリア語で「逃げる」)と呼ばれる。
対位法…異なるメロディーを複数のパートで同時に演奏して美しい響きを出す手法。いわゆる「ハモリ」もこの一種。
「シンガーのことをお聞きして、昔読んだあるマンガを思い出しました」
え、それは何ですか?
「吉本浩二『淋しいのはアンタだけじゃない』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)です。聴覚障害について作者が取材する作品なんですが、こんな一節があったんですよ」
当時、私が聾学校で教わったのが……〈とにかく、まずは可愛がられる人になりなさい。特技とか何もない人は笑顔で答えなさい。聴覚障害者たちにとって、それが生きる手段だったんです。(第1巻)
「障害者福祉の仕事をしている友人がいて、そいつが貸してくれたんです。この一言はけっこうショッキングでしたね。シンガーが他の人たちの話を聞いてやっていたのも、聴覚障害者としての生き残り戦術だったのかもしれないと思ったんですよ」
…作者がそこまで考えていたかどうかは分かりませんが、確かにそんな気はしてきますね。この時代のアメリカに満足な福祉政策はなかったでしょうし。
「なにわt4eさんの感想をお聞かせください」
まず、未来も希望もなく、そのことを自覚もしていない人々のよどんだような暮らしを描くマッカラーズの筆力に圧倒されます。ですが彼女の視線は優しくて「そうだよね、つらいよね」という共感に満ちています。ルイ・フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)もこれまた未来も希望もない暮らしを描いた傑作ですが、そこが大きく違います。
報われないのに愛さずにいられない、できっこないのに脱出を願わずにいられない。マッカラーズの他の作品とも共通したテーマですが、こんな思いを誰しも一度や二度はするんじゃないでしょうか? そういうとき、マッカラーズの作品はとても親身に寄り添ってくれます。単純なポジティブ思考よりよほど励まされるように、私には思えます。
翻訳について言うと、村上春樹訳は端正ですが小ぎれい過ぎる気がして個人的には少し不満です。セリフにいかにも田舎町らしく洗練されていない言葉遣いを使っている点や、全体的に文章が力強く格調高い点で私は古い河野一郎訳が好みです。解説を読んでも、河野一郎の方が村上春樹より深く踏み込んでいますしね。
ちなみに私がカーソン・マッカラーズのファンになったきっかけは、『悲しき酒場の唄』の劇場版『悲しき酒場のバラード』(1992年)です。何の準備もないところにいきなり強烈なボディブローを食らったような衝撃を受けて彼女に興味を持ち、数年後に原作を読んでファンになりました。DVD出てないかな?
なお一言お断りします。1972年の河野訳はもちろんのこと村上訳にも差別的な表現が用いられています。しかし、
・作品が書かれた時代にはそれらの言葉がまだ一般的に用いられていた。
・作品が黒人や障害者を差別する内容でないのは明らか。
・描かれた時代や社会を日本語でリアルに表現するにはどうしても避けられない。
という理由による使用であり、訳者もまた差別する立場にないのは明らかだとお断りしておきます。
(敬称略)
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