『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー)世界一(?)誤解されている小説

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(架空の人物・美濃達夫さんから本書について尋ねられた、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、『フランケンシュタイン』っていう小説があるんですか?」

 ええ、好きな作品の一つです。美濃さんは読まれたんですか?

「いえ、例の取引先の方と話していたらChatGPTの話になって、その中でフランケンシュタインの名前が出てきたんです。もともと小説だったことはその時知ったんですが、なんだか話がかみ合わなくって…その方は大変な読書家だし私は本をあまり読まないから、かみ合わないのも当然と言えば当然なんですが」

 話がかみ合わない…あ、もしかして美濃さん、フランケンシュタインは「怪物」の名前と思ってらっしゃいますか?

「違うんですか?」

 フランケンシュタインは「怪物」を作った科学者の名前なんですよ。「怪物」には名前はないんです。

「そうなんですか!?怪物の名前がフランケンシュタインだと思ってました。話がかみ合わなかったのはたぶんそのせいです」

  とてもよく誤解されるんですよ。映画とか「〇〇怪物大百科」というたぐいの本とかの影響でしょう。かくいう私も、数年前に本屋さんの店頭で『フランケンシュタイン』を手に取るまで同じ誤解をしてました。

目次

あらすじ

「どんな話なんですか?」

 若き船乗りロバート・ウォルトンの船が北極で座礁するところから物語は始まります。そこでウォルトンは怪物を目撃し、翌日フランケンシュタインを拾い上げます。フランケンシュタインは怪物を追っていたのです。ウォルトンはフランケンシュタインの健康を回復させ、やがてフランケンシュタインの告白に耳を傾けます。スイスのジュネーヴを出てドイツのインゴルシュタット大学に通い、そこで生命の秘密に魅せられたフランケンシュタイン。そして研究の結果とうとう人造人間を創造するに至りました。「怪物」の誕生です。大いに夢と希望を抱いて人造人間を創ったはずでしたが、見た目の醜悪さにおぞけをふるって彼は「怪物」を見捨てました。「怪物」はインゴルシュタットの森をさまよい、フランケンシュタインの弟を殺害。その嫌疑はフランケンシュタインの一家に雇われている使用人のジュスティーヌにかかり、彼女は冤罪で処刑されました。「怪物」はフランケンシュタインと対峙します。そして「俺の伴侶を創ってくれ、そうしてくれれば二度と人間に危害を加えないし人間の世界に現れない」と誓いました。フランケンシュタインは伴侶を創ると約束しますが人類の敵を増やすのではないかと危惧して約束を破ります。怒った「怪物」は、誰からも愛されぬ孤独な自分を単なる知的好奇心から創ったフランケンシュタインに復讐を誓い「お前の婚礼の翌日にやって来る」と言い残して去ります。そして事実フランケンシュタインの新妻を殺害しました。怒りに燃えたフランケンシュタインは、これ以上被害者を増やさないためにも「怪物」を滅ぼすべく追跡を開始。ウォルトンの船に拾われたのはこの途上でした。しかしフランケンシュタインは衰弱のため船上で命を落とします。後々を託されたウォルトンの前に「怪物」が現れて…。

 「怪物」は世界的に有名なのに『フランケンシュタイン』はなぜかあまり読まれませんね。映画とかマンガとかのイメージがあまりに強烈すぎて、原作小説があることが知られにくいのかもしれません。ちなみに『フランケンシュタイン』は書簡体小説と言って、登場人物の手紙という形式で書かれた作品です。二十世紀前半くらいまでかな、昔は結構ポピュラーだったんですが、現代人はたいてい手紙ではなくメールやSNSでやり取りするからそういう小説はあまりないかもしれません。宿野かほる『ルビンの壺が割れた』は登場人物同士がやり取りするFacebookのメッセージという形式で書かれているので、しいて言えばこれが現代版書簡体小説ですね。

「怪物」が人間性を獲得する過程

「お話を伺った限りでは、フランケンシュタインは怪物に知性や感情までは与えなかったみたいですね」

 そこまでは考えてなかったか、あるいは肉体的な生命を創るだけで精いっぱいだったか、そのどちらかだと思います。

「なのにどうして怪物はフランケンシュタインに復讐を誓ったんですか?と言いますか、復讐を誓うような感情や知性をどこで養ったんですか?」

  さすが美濃さん、鋭いご質問ですね。その過程も本作の見どころなんですよ。「怪物」は森をさまよう中で酪農家と思われる貧しい一家の小屋に潜り込み、そこに隠れて過ごすようになります。この一家の様子をのぞいたり会話に耳を傾けたりする中で言葉を覚え、感情や知性を養ったんです。

AIを連想させるもの

「取引先の方がChatGPTの話の中で『フランケンシュタイン』に言及された理由がなんとなく分かってきました。フランケンシュタインは人間、怪物はChatGPTを含むAIだと考えるとかなり恐ろしい比喩ですね」

 もちろん人間とAIの関係とフランケンシュタインと「怪物」の関係がイコールと今言い切るのは早計ですが、イコールにならないとも言い切れませんよね。もしAIが完全に感情や知性を獲得した時、人間はAIとどう向き合うんでしょう?全人類に突き付けられた課題だと思います。

 「たまたま見かけた一家の様子や会話から知性や感情を養った点も、AIがネットの膨大な情報から学んでいるのに似てますね」

 あ、本当ですね!ますますもって『フランケンシュタイン』は現代にふさわしい作品です。

「怪物」は人間をどう見ていたか

「怪物にとって人間とはどんな存在だったのでしょう」

 復讐したいくらい憎みつつ、心の底から憧れる存在だったようですね。同時に、非常に皮肉な見方もしています。

おまえはおれを人殺しと非難するが、それでいて自分がつくったものを破壊しようとし、良心の呵責を感じない。まったく人間の永遠の正義とは、大したものだ。(光文社古典新訳文庫、以下同じ。P.186)

長い間わからなかったことだが、人間はどうしてわざわざ仲間を殺しにいくのか、あるいは、なぜ法律や教育があるのか。しかし悪徳や血なまぐさい話を詳しく聞くと、驚きの気持ちは消え、嫌悪感に襲われて思わず顔を背けたのだ。(P.216)

人間の世界でもっとも高く評価されるのは、富を有すると同時に、純粋な血統を持っていることらしい。このうち一方だけでも尊敬されるが、どちらもなければ、よほどのことがない限り、まるで奴隷のような扱いを受け、選ばれた少数者のために自分の力をすり減らすことになるのだ!(P.217)

 「愛されたい」という最も切実な願いが叶わないように初めから創られてしまった「怪物」だからこそ、ここまで痛烈に人間の本性を見通したのかもしれません。三つ目に挙げたセリフなんて格差社会に対する皮肉としても読めますね。

感想

「ところで、なにわt4eさんは怪物を『怪物』とかぎかっこ付きで呼んでおられますね。何か理由があるんですか?」

 フランケンシュタインと「怪物」のどちらが本当に怪物だか分かんねえな、という意味です。 ただ、フランケンシュタインも知的好奇心の怪物やマッドサイエンティストではありません。科学を志して意気揚々と故郷を出立したり肉親の死にうちひしがれたり友情や家族愛に慰められたり、とても人間味豊かな人物です。そんな人間がたった一つの過ちから大きな悲劇を生んでしまうところに『フランケンシュタイン』のリアリティと皮肉さを私は感じました。

まとめ

 「怪物」にもフランケンシュタインにも感情移入しながら読める哀しい復讐のドラマであり、痛烈な風刺文学でもあり、「人間VS人間に作られたもの」というテーマが今ますます切実なものになっている。そこが本作『フランケンシュタイン』の魅力です。 なおこの作品、メアリー・シェリーが18歳の時見た恐い夢から発想を膨らませて書いたものだそうです。だから作者が「人間VS人間に作られたもの」を最初から念頭に置いて書いたのかどうか不明ですが、ともかくこの先見性は驚きです。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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