『ここは今から倫理です』第10巻(雨瀬シオリ)「“人一人が死ぬ”という事は」

目次

先にまとめから~答えの出ない問い~

 大切な人の死が近いと分かったら、
 自分の死が近いと分かったら、
 私たちは何を考えるでしょうか?
 そして──その死を自分で選ぶとしたら?

 高校教師・高柳と生徒たちの姿を通じて答えの出ない問いに向き合い続ける『ここは今から倫理です』。完結の第10巻では、「生」「死」そして「安楽死」をめぐって生徒たちが意見を交わします。彼らは「死ぬことの意味」「生きることの意味」をどう考えるでしょうか?
 そして──彼らの言葉を受けて、あなたならどう考えますか?

 他にも恋愛や非行などの小さなエピソードも収録されています。こちらはあなたの共感を、もしかしたら黒歴史を呼び起こすかもしれません。

『ここは今から倫理です』第10巻を読んであなたがどんな倫理を作るか、それはあなたのみぞ知る。今作ったあなたの倫理も、いつか変わるかもしれません。ただ、その「倫理を作る時間」をご一緒できればうれしいです。

 それではまいりましょう。

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、今思い出したんですが前に『ここは今から倫理です』をご紹介いただいてからずいぶん経ってますね」

 そう言えばそうですね。第9巻のことをお話ししたのが一昨年の夏ですから、もう一年半ほど経ちますか。

「続きは出てないんですか?」

 いえ、今年になってから気がついて読んだんですが、昨年の秋に出てました。この第10巻で完結してます。

「完結したんですか。どんな内容か、お話しいただけますか?」

あらすじ

 第10巻の最初は恋愛や非行についての小エピソードで、それに高柳の恩師・小椋の話が続きます。小椋は高柳とときどき連絡を取り合っていましたが、病で余命わずかとなりました。高柳は小椋に再会します。小椋は他界し、小椋の娘に頼まれて高柳は友人と二人で小椋の遺品を整理。高柳は年度最後の授業として生徒にディベートをさせるのですが……。

ディベートを導いたもの

「どんなディベートですか?」

 その前に、高柳と小椋の話をさせてください。入院した小椋は延命治療に入りましたが昏睡状態となり、家族は延命治療の中止を決断。見舞いに来た高柳は小椋の娘から好意を打ち明けられて混乱します。そのとき、かつて教え子だった逢沢いち子が高柳に声をかけます。彼女の母親と小椋が偶然同じ病院に入院していたのです。逢沢は高柳にこう言いました。

あたしはさ せんせに… 今 何が起きてるのかはさ 分かんないけどさ…大丈夫だよ せんせは絶対“善く生きてる”から(#53「再会」)

 ここで逢沢が言った「善く生きる」とは、かつて高柳が授業で逢沢たちに教えたことでもあります。恩師の死、そしてかつて教えた言葉で逢沢から励まされたことに導かれて高柳がディベートのテーマに選んだもの、それは「安楽死」でした。

「恩師が安楽死した直後にそのテーマですか。高柳にとっては切実であると同時に、自分が飲み込まれるかもしれないという意味では危険なテーマだったのでは?」

 それは否定できませんね。その辺は後でお話ししますが、ともかく高柳は安楽死について生徒たちにディベートさせました。

安楽死をめぐって

「ディベートはどんな風に進んだんですか?」

 安楽死に賛成のグループと反対のグループに分かれてスタートしました。初めはどの生徒も戸惑っていましたが、次第に「死ぬより辛いこともあるだろうし、仕方ないのでは」という賛成の意見が多く聞かれ始めます。

極論かもしれないけれど

「違うことを言う生徒もいましたか?」

 はい。美濃さんが第8巻(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の時に話しておられた長野と国近です。高柳が、理性を失った獣のように死ぬのではなく人間として尊厳を保ったまま死にたいという意味で安楽死は尊厳死とも呼ばれる、と説明したのに対して長野はこう言います。

一番キライですその考え方 人間ごときが傲慢すぎる 人間も獣と同じでどっちにも“尊厳”なんてない 命は自然に生まれるんだから 自然に死ねないのはおかしいと思う(#55「自分の意見 言わんのナシですよ」)

 一方の国近は高柳に反発心をむき出しにし、長野と口論した末に教室を飛び出して高柳に叫びます。

嫌いなんだよ 人間が! 人間の命なんか… 価値なんてねえよ! あたしも 先生も 死んだ先生の知り合いも みんな価値なんてねえよ!! 生きてる価値なんて 誰にもねえんだよ!!(最終話「それでは倫理をはじめます」)

「二人とも、極論と言えば極論だとは思います。ですが……」

 ですが?

「なぜでしょうか、何か引っかかると言うか、無視できないものを感じますね」

 私もなんです。字面だけ見れば単なるニヒリズムに見えますが、長野には宗教二世としての、国近には金でおっさんと関係を持つことへの葛藤があって、それがゆえに出た言葉だという気がします。

で、結局「倫理」って?

「最終的にディベートの結論は出たんですか?」

 いえ、出ていません。むしろディベートの形式はガタガタに崩れたと言っていいと思います。高柳も最初に小椋の死について話してしまったことで、長野に意見表明を迫られて議論に巻き込まれましたし。

「ではディベートは失敗だった?」

 そこはどうでしょうね……ディベートの成立という点では明らかに失敗です。ただこれを、倫理を実践する試みと考えると失敗とは言い切れない気がします。

「と、おっしゃいますと?」

 例えば長野と国近です。二人の言葉をどう考えるにしろ、それぞれの生き方や人間観がまるごと現れているという意味では極めて倫理的な言葉かもしれません。もっとも国近は

生徒同士喧嘩させて何が楽しいんだよ!! これのどこが“倫理”だよ!!(最終話「それでは倫理をはじめます」)

と言っており、高柳も核心を突かれたような表情をしていますが。一種の循環論法ですが、「倫理って何だ?」と考えることが倫理だ、と言えるかもしれませんね。

「……ただ、その循環論法にどう向き合うかによって話はがらりと変わる気がします」

 どういうことですか?

どうせ堂々巡りなんだから考えたってしょうがないじゃんと開き直ってしまうか、堂々巡りとわかっていてもなお考え続けるか、ということです」

 確かに、同じ循環論法でもこの二つは天と地ほどに違うでしょうね。

作品全体に流れる音

 倫理って何だ、ということは作品全体のテーマかもしれません。テーマというより、第1話からずっとドローン(※)のように流れ続けています。

「どんな風にですか?」

 いくつか引用しましょう。

この授業で得た知識が役に立つ仕事は ほぼ無い この知識がよく役に立つ場面があるとすれば── 死が近づいた時とか 倫理は主に 自分がひとりぼっちの時に使う(中略)「死にたい…」“いのちとは何か”(#1「知らない事」)

私には貴方が リュウくんの力を借りて “よく生きている”ようにしか思えません(#4「よく生きる」)

誰よりも“正しく”生きてるアンタが 俺みたいのと真剣に言い合いしてくれんのはうれしい 倫理観なんかクソ喰らえって思いながら生きてる …けど アンタとこうして口論する事だけが 俺がしてる唯一の倫理的なこと…(#11「善と悪」)

今 ここには 確かに生きた「倫理」があった こんな教科書に書いてある文字が「倫理」などではない 私が話す言葉も 「倫理」などではない 今ここにいる皆さんこそが 「倫理」だった(#35「いい世界」強調は原文のまま)

「一つ目はそれこそ安楽死と密接に関係ありますよね。それ以外についてお話しください」

 二つ目はぬいぐるみのリュウくんを心の支えにしている少女・本田に高柳がかけた言葉です。本田は様々な辛い思いを誰にも話せず、リュウくんにだけ話すことでかろうじて優しく生きていました。

 三つ目は、高柳の生徒を助けた男・ジュダが高柳に言った言葉です。ジュダは裏社会の住人で、初めは生徒にちょっかいを出すつもりでしたが彼が高柳の教え子と知って彼を助けました。ジュダは「…俺は “正しい”ことが大嫌い」(#11「善と悪」)と言っていますが倫理に一定の知識や見解を持っており、彼にとって倫理とは単純に「正しいこと」でないことは明らかです。

 四つ目は、第7巻(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の時にお話ししましたね。

「ええ」

 こんな風に「倫理とは何か」という問いかけが『ここは今から倫理です』では繰り返されています。これらを私なりにまとめれば「自分の生き方を考え、実践し、時には他人とぶつけ合うことが倫理だ」ということになりそうですが、「倫理とは〇〇である」と定義したそばからその定義をはみ出す倫理が現れるでしょうね。
 「倫理とは何か」という結論の出ない問題を考え続けることこそが、逆説的ですが「倫理的な態度」だという気がします。

 余談ですが、ジュダの名前は新約聖書に出て来るユダの英語読みでしょう。ユダはイエス・キリストの弟子でしたが、裏でイエスを売り、はりつけに導いた人物です。英語で裏切り者を意味する“judas”という単語の語源になっています。ちなみに私はジューダス・プリーストのファンなんですが、それは置いときましょう。

※…無人飛行機のドローンではなく、「曲の間じゅう同じ高さで流れ続ける音」という意味の音楽用語。そうした音を多用する音楽をドローンミュージックと呼ぶこともある。

なにわt4eの感想

「なにわt4eさんはこの第10巻を読んでどう思われましたか?」

 完結は残念ですが、そこで取り上げられたのが安楽死、というより安楽死を含めた生と死のあり方だったことについては「なるほどそこにたどり着くのは納得だな」と思いました。

「どういうことですか?」

 倫理とか哲学とか、そう言ったものはとどのつまり「どう生きるか、どう死ぬか」に行き着くと思うからです。また、詳しくここでお話しするのは控えますが第1巻のあとがきで作者の雨瀬氏が書いた出来事を踏まえると、意図してのことかどうかは分かりませんが最後がこのテーマだったのは、なおさら必然だったのかもしれません。

 実は、何度か第10巻を読み返しているうちに思ったことがあるんです。

「それは何ですか?」

 病院で高柳を励ました逢沢と、ディベートで高柳に食ってかかった国近は、それぞれ正反対の角度から高柳に対して倫理的であろうとしたのではないかということです。

「と、おっしゃいますと?」

 逢沢は高校時代ある問題を抱えていましたが、高柳とのかかわりがきっかけでそこから離れた過去があります。そんな彼女がかつて高柳から教わった言葉を高柳にかけたのは、励ましという角度の「倫理」。

 一方の国近ですが、ディベート中に高柳の一言一言をもっとも必死に追いかけていたのは、私の見る限り彼女でした。売春という、「生」の非常に暗い側面に身を置いていた国近は、考えようによっては「生きるって何だ?」と誰よりも必死に考えていたのかもしれません。彼女が高柳に食ってかかったのは、反発という角度の「倫理」。そんな風に思えたんです。まあ、ツンデレと言えなくもないですけどね。

「長野と国近の言葉について、どうお考えになりますか?」

 私としては、長野や国近の言葉を大切にした上で、それでも人間には尊厳や価値があると信じたいです。私見ですが、『レディ・ジョーカー』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の合田雄一郎も仕事柄ということもあって人間というものを疑い、疑い、また疑っていた。ですがそれでも、どこか人間を信じようとあがいていたように思うんです。そして長野や国近も、もしかしたら合田と同様に、人間の尊厳や価値を信じず否定しながらも、どこかで信じたいと思っている……のかもしれません。私の希望的観測に過ぎませんけどね。

長野や国近が本当に人間の尊厳や価値を全く信じていなかったなら、そもそも高柳に噛みついたりせず、せせら笑っていただろう、と?」

 ええ。私の思うには、ですが。そして二人の反発の裏には、高柳に対する信頼が潜んでいる気がします。

 ご紹介はしませんでしたが、冒頭の2話は恋愛や非行に関する小エピソードです。成長過程の珍しくもない過ちだとしても、ご自分のことを思い出して赤くなる読者もおられるかもしれません。まあミイナみたいな目にあったら、そりゃ幻滅して当然ですがね。

 生徒たちにとっても高柳にとっても「安楽死は是か非か」「倫理って何だ?」への決定的な結論は出ないかもしれません。正直なところ、私自身にとってもそうです。だから今後も、彼らも私も考え続けるでしょうし、そうした「考え続ける」本をたびたびご紹介すると思います。

 「正解の出ない問題を考える」ことは、まだるっこしい営みです。コスパよく・タイパよく・正解を求める今の時流からは少し外れているかもしれません。しかし「確かにまだるっこしいけど、そういうのってなんか人間らしくない?」と思う方にとっては、この第10巻を含めて『ここは今から倫理です』は貴重な作品になるでしょう。

『ここは今から倫理です』をさらに深く味わいたい方へ

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『エピクロスの処方箋』(夏川草介)
 大学病院を辞めて地域密着を地で行く医療活動に従事する内科医・雄町哲郎。彼は妹の忘れ形見・龍之介に、人間の無力さを肯定する言葉を語りました。雄町はこう続けます。

スピノザは、人間の無力は描いても絶望は描かなかった。どうにもならない世界で、それでも人間にできることは何かと考え続けたんだ。こいつはなかなか魅力的な思想じゃないか(P.353)

 考えても容易に結論が出ないことを、それでも考え続けることを「魅力的」と呼んだ雄町の言葉に私は勇気づけられました。あなたにも勇気を与えてくれるかもしれません。

●『人はなぜ悪をなすのか』(ブライアン・マスターズ)
 人間はどうして悪いことをするのか、どうしていいことをするのか、悪人と善人はどこでどう分かれるのか……人類史上有数の難問に、心理学・歴史・文学など幅広い知識を総動員して挑む名著です。最後の一文、

人間であるということもまた同様に、多くの慎重な配慮と勤勉さを必要とする。(P.367)

これは高柳が倫理の授業を通じて試みていることなのかもしれません。

●『拳闘暗黒伝セスタス』第15巻(技来静也)
 衛帝隊(ネロ皇帝と一家の私設ボディガード)の一員ルスカが心を絞り出すように語った「生命の本質は…」という言葉に、『ここは今から倫理です』第10巻と通じるものを感じました。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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