先にまとめから~神も仏もあるものか……?~
「因果応報って本当にあるの?」
「神様なんかいるもんか」
「この世こそ地獄じゃないの?」
あなたも、そんな風に思われたことがあるかもしれませんね。かく言う私も、こんな風に思ったことがないと言えば嘘になります。悪い奴が笑っていい人が泣く、自分を救ってくれた恩人がかつて多くの人を傷つけていた、死にたいくらい辛いときに誰かがその辛さを分かってくれて、辛い現状は何も変わっていないのに少しだけ幸せを感じた…そんなとき、分からなくなりませんでしたか? 何が善で何が悪か、何が絶望で何が希望か。
そんなあなたにお読みいただきたい作品があります。洋介犬『ジゴサタ~地獄の沙汰もお前しだい』全4巻(以下『ジゴサタ』)です。地獄、煉獄、時々天国を舞台にしたこのショートショートマンガは、ホラーマンガとしておもしろいのはもちろんですが、それだけじゃありません。悪い奴がきちっとツケを払わされるカタルシス(※)、「希望とか本当の罰とかって、いったい何?」と考え直さずにいられないテーマ性、「人間ってどんなとき幸せで、どんなとき辛いんだろう?」ということに対する深い洞察。時々かっ飛ばされるオヤジギャグ。これはもう、ホラーマンガの皮をかぶった哲学マンガと言っていいでしょう。読み終わった時、あなたはご自分の中にある小さな地獄と小さな天国を見つけているかもしれません。
あなたの心と価値観を深いところから揺さぶり、もしかすると「かすかだけど消えない光」を灯してくれるかもしれない本作『ジゴサタ』の世界を、一緒にのぞいてみませんか?
※…小説やドラマなどで、感情移入しながら(主に悲劇的な)物語を読み進めて結末で感情が一気に解放されること。ここでは「スカッとする感覚」という意味。
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美濃達夫さんとの会話
「なにわt4eさん、今年も怪談の季節ですね。もっともこの暑さは怖い話でしのげるレベルではありませんが」
ええ、怪談や風鈴、打ち水などは素晴らしい文化ですが、これらが生まれた時代と現代とでは暑さの次元が違いますからね。そのせいか、この10年くらい夏と言ってもあまり怪談を聞かないような気がします。
「一昨年の夏は、何か暑さをしのげる本はありませんかとお尋ねして新田次郎『八甲田山死の彷徨』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)をご紹介いただきましたね。暑さしのぎどころか雪地獄の話でしたが」
そうでしたね。実は最近あるホラーマンガを読んだのですが、これが大変おもしろいんですよ。別に怪談を読みたかったわけではなく、たまたま機会があって読んだだけなんですが。
「何という作品ですか?」
洋介犬(ようすけん)『ジゴサタ』です。
あらすじ
「どんな話ですか?」
何者かに殺された少女の魂が、ニノス王の提案で地獄の刑吏となります。彼女は先輩刑吏とともに地獄の亡者に罰を与えつつ、人間性というものを改めて深く見つめます。さらには先輩刑吏を巧みに巻き込んである企みを…という物語です。一話一話が1~3ページ程度と非常に短いです。
煉獄というのは罪の軽い死者が天国行きのために修行する、あるいはその罰を受ける場所で、ニノス王は死者を天国行き・煉獄行き・地獄行きに裁く存在です。いわゆる閻魔大王みたいな存在ですね。
本作の主な魅力は以下の三点だと思います。
・ホラーマンガとしてのおもしろさ
・善と悪、希望と絶望、天国と地獄の再定義
・人間への深い洞察
ホラーマンガとしてのおもしろさ
「ホラーマンガということは、やっぱり怖い話なんですよね」
そうですね。ただ、血がブシャーとかお化けがドーンとかいう怖さよりはどちらかと言うと悪事の報いが怖いという意味ですが。
「例えば?」
例えば生前人を散々無視していじめた人物が刑吏から「お前の死を惜しんだ人数」「墓参りに来た人数」「正確に顔を覚えてる人数」を知らされる話(第23話)、ある性別や人種、同性愛者のアイデンティティを否定した人物が自分のアイデンティティを奪われる話(第103話)など。もちろん物理的な苦痛が激しい刑罰もあるんですが、こう言った刑罰の方が私は恐ろしいと感じました。
ちょっと笑ってしまったのは、生前にツボ売りの霊感商法で稼いでいたインチキ霊能者の話です。彼女は地獄で小さなツボに首から下を閉じこめられる刑罰を受けて苦しんでいました。苦し紛れに刑吏に対して「私にこんなことしてぇ… て… 天罰がくだるぞォッ」(第35話)と叫ぶのですが、それを聞いた刑吏が肩をすくめるんです。
「ははは、『いや、まさに今あんたが天罰受けてるじゃん』って話ですね」
そう言うことです。ただ、こうした因果応報・勧善懲悪めいた話ばかりではありません。罪を犯して刑を受けつつも人間らしくあり続ける者の話や人情話もあります。
「興味深いです、どんな話ですか?」
ある女性が、遊び半分で作った子どもをコインロッカーに捨ててその直後に事故死しました。彼女は地獄で、コインロッカーに押し込まれる刑を受けています。刑吏から彼女は、その子は生き延びて里親を実の親と思って暮らしていると聞かされます。そう聞いた彼女の思いはこうでした。
それがとても嬉しかった とても勝手だけど どうか幸せでいて(第46話)
別の話では、精神のバランスを崩したらしいある若者が、自分が死んで泣いてくれる人がいるのかを確かめるべく海に身を投げました。地獄で刑吏は彼に告げます。君のために泣いた人数はゼロだ、と。しかしそれは、誰一人彼の死を悼まなかったからではありませんでした。それではその理由とは? (第110話)
生前は気丈で笑顔をほとんど見せたことのない母親が天国で娘と再会するとベタ甘のスマイルお母さんに変貌していた、なんていう微笑ましい話もあります(第165話)。
「地獄という極限状況だからこそ人間性がくっきり浮かび上がるのかもしれませんね」
確かに、そうかもしれません。
善と悪、希望と絶望、天国と地獄の再定義
『ジゴサタ』を読み返すたびに私は、「本当の希望って何だろう?」「地獄や天国って、死後の世界じゃなくて人間同士の間や人間の心の中にあるんじゃないか?」などと言ったことを考えます。と言うより、考えずにいられません。
「詳しくお聞かせください」
例えば、あるカップルが2人の仲を裂こうとした両親を殺して地獄に落ちました。吊るされた彼らは、背中合わせでありながら目も口も封じられ、互いを見ることも話すこともできません。それを見て、刑吏の誰かだと思うのですが、ある人物がこう独白します。
だが吊るされて以来ずっとつながれたままのその手に 2人はかすかな幸せを感じていると私は信じたい(第26話)
「…地獄なのに、かすかとは言え『幸せ』ですか」
はい。そしてその人物は「彼らは幸せだ」と確信してはいません。ただ、「幸せだと信じたい」と言うのです。
「その人物にとっては、それが希望?」
そうとも取れますし、「大切な人とわずかでもつながりを持つことができれば、天国はそこにある」とも解釈できるでしょうね。そしてそれを断ち切られた状態こそが、現世であれ死後の世界であれ、本当の地獄だとも。戦争とか飢餓とか、そう言ったいわゆる「この世の地獄」とは別の意味で。
後、これは極めて重要な問いかけだと思う点を挙げます。主人公の新人刑吏は、私たちの世界で言う産業医的な人物からカウンセリングを受け、その中でこう質問されます。この世界の地獄は正義と思うか? と。
「それに対して彼女は何と答えたんですか?」
正義か悪かと言えば良くて独善 むしろ悪に入るでしょう ただ 誰かの気持ちに確かに寄り添っていることは 人々の中で感じています(第113話)
「…何と言うか、善悪とは違う基準で地獄を見ているようですね。あるいは、堂々巡りっぽい言い方ですが『誰かの気持ちに確かに寄り添っていること』が彼女にとっての正義であるのか」
彼女の言う通り、人の気持ちに寄り添っていることは確かです。自分を殺した犯人を刑吏が地獄で切り刻んでくれているから自分は天国で平穏な心でいられるのです、と天国のある住人が語っているように(第63話)。善と悪を分けるのは何か、あるいはそれと別の次元にあるものが本当の善なのか。そう言ったことを、私は本作を読むたびに考えずにいられません。
ただ、あれやこれやともっともらしい解釈をしてみたものの、それが作者である洋介犬氏の主張であるというよりは、こうした色々なことを「一緒に考えようじゃないか」という呼びかけのような気がします。もちろんこれも私の解釈にすぎませんが。
人間への深い洞察
この点でも本作は目を見張るものがあります。
「具体的にはどんな風にですか?」
天国のある住人はすっかり達観していて、悲しいことがあったり悪口を言われたりしても平気です。他の誰かが争っていても「どっちでもいいのにね」。彼女はいつもおおらかな笑顔を絶やしません。天国にはそうした住人が少なくないようです。
だが人によってはそうなった人を 「あれこそが真の『人として死んでしまった』状態だ」 とも言うのだ(第180話)
「…天国なのに『人として死んでしまった状態』とは、皮肉と言うか何と言うか…」
ここを読むたびに私は、心臓に強烈なパンチを撃ち込まれた気分になります。
もう一つ、そんな気分になる話があります。
「どんな話ですか?」
殺人の被害者が天国から地獄に降りてきて、もういいから自分を殺したこの人を許してほしいと刑吏に訴えます。しかし刑吏はこう答えます。一度始まった執行は止められない、深海に投げたものを取り戻せないように、死後の世界と言えども物理法則と無縁ではないからだ、と。彼女は刑吏に言いました。怒りと憎しみに燃える表情で、
私の心の中にも 今 地獄が生まれました(第188話)
と。
「天国や地獄が人間の心の中にあるのなら、死後の天国や地獄とは一体何なんでしょうね…」
「天国にいようが地獄にいようが人間性は変わらない。むしろ、不完全な存在であっても人間らしくあることこそが尊い」のかもしれませんね。もしかすると洋介犬氏は「どれだけ大きな悪を秘めていたとしても、人間があくまで人間であることが素晴らしい。そんな人間を信じようじゃないか、矛盾しているかもしれないけれど」と伝えたいのではないか、そんな気がします。
感想
「なにわt4eさんは『ジゴサタ』を読んでどう感じられましたか?」
本作は読む人の人生観や死生観、宗教観までも揺さぶらずにはいません。私自身も揺さぶられっぱなしです。「絶望って何だ、希望って何だ」「天国や地獄って、結局どこにあるんだ」それは一生考えても結論が出ない問題かもしれません。それでも考えずにいられないし、「当面はこれが自分にとっての結論だ」というくらいの結論にはたどり着けるかもしれません。これはもうホラーマンガの皮をかぶった哲学マンガです。かと言ってそうした重厚なエピソードばかりではなく、ところどころでオヤジギャグをかっ飛ばしていたり、ご紹介では触れそびれましたが主人公の新人刑吏が死後の世界全体を揺るがすような計画を進めていたりしているので、適度に気分転換しながら読み進めることができます。
私にとって本作を読むことは「自分自身の中にある小さな地獄と小さな天国」を探ることでもあり、「かすかだけど絶対に消えない光」を探ることでもあると感じています。美濃さんが(そしてこの記事をお読みのあなたが)、ご自分の中にある小さな地獄と小さな天国を、かすかだけど絶対に消えない光を、一緒に探してくださればこんなにうれしいことはありません。
●『ジゴサタ』に興味を持たれた方は、こんな本もどうぞ。(どちらもAmazonの紹介ページへ飛びます)
・『アーミッシュの赦し』ナルド・B・クレイビル、スティーヴン・M・ノルト、デヴィッド・L・ウィーバー‐ザーカー
平和な集落で突然起きた銃乱射事件の犯人を、被害者のコミュニティが赦した事件。『ジゴサタ』でたびたび描かれている「赦しをめぐる葛藤」は本書にも共通するテーマです。
・『地獄』アンリ・バルビュス
私にとっては少々難解でしたが、「俺たちが地獄にいることは確かだ。だったら地獄にいるままで幸せになろうじゃないか、できるはずだぜ」というメッセージを感じました。
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