『木暮姉弟のとむらい喫茶』(うおやま)第3巻 喪って、手に入れて、そして与えて

目次

先にまとめから~私たちも「作品」を喪う~

 私たちは出会ったら、必ずいつかは喪いますね。人であれ物であれ、作品であれ。大切な人がいなくなった、思い出の品が壊れちゃった…あなたにもそんな経験、ありませんか?

 様々な人が様々な喪失や死別に直面し、打ちのめされ、だけどそれも含めての新たな人生に向けて再生の歩みを始める…そんなドラマを穏やかに描いて静かな感動を呼び起こす、うおやま『木暮姉弟のとむらい喫茶』。本作では、喫茶店を営むちょっと不器用な姉弟が様々な人の喪失に立ち会ってきました。彼らとともにいた私たち読者も本作を今、喪おうとしています。作品の完結という形で。

 ですが作品は確かに残り、私たちの心を、もしかしたら人生すら動かし続けます。あなたの心や人生も、本作がきっかけになって新しい方向へ動き出すかもしれません。そんなきっかけを提供できるよう、『木暮姉弟のとむらい喫茶』第3巻の魅力を力の限りお伝えします!

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、最近ナポリタンって進化してますね」

 どうなさいました美濃さん、やぶから棒に。

「実は先日ジム帰りにお気に入りのラーメン屋に行ってみたら改装工事中でして、しかたないからその近くのファミレスに入ったんですよ。メニューにはラーメンもありましたが、ラーメン食べるならちゃんとラーメン屋で食べたいので、同じ麺類ということでナポリタンを頼んでみたんです」

 ええ。それで?

「基本的には昔ながらのナポリタンでしたが、何と言うか、とても味が洗練されてたんですよ。トマトの味が濃い一方で油っけは少なめで、むしろさっぱりしてたくらい。昔風の油っこいナポリタンも大好きですが、その時のナポリタンなら3皿でも4皿でもお代わりできそうでした。さすがにしませんでしたが」

 そうなんですか、私も食べたくなってきましたよ。後でそのお店を教えてください。

「後で?」

 ええ、後で。と言うのも『木暮姉弟のとむらい喫茶』の第3巻が出ましてね、これが最終巻なんですが、その中でナポリタンが出て来るのでこの機会にお話ししたいと思ったからです。

「え、最終巻なんですか!? それは残念ですね。ぜひお聞かせください」

さまざまな「さよなら」

・テルの元同級生・森元信(もりもと しん)。彼は子ども時代、連続通り魔に姉を殺害されていた。「こかげ」でテルと再会した信が頼んだナポリタン、それは誰の弔いだったか? 「笑うナポリタン」

・町医者として長く働いた曽祖父・辰じいを尊敬する沢口夏美は、彼の教えを守る正義感の強い少女。辰じいは戦争中に人を殺し戦友を見捨てたことをひそかに悔いていた。その事実を知り心が揺れる夏美はある日の登校途中、体が弱いクラスメイト・冬野がつらそうに座り込んでいるところに居合わせる。「償いのピザトースト」

・第2巻「始まりのブラックコーヒー」に登場した澪はちょっとした嫉妬から友人のメグミとケンカする。その時「こかげ」に居合わせたホームレスの女性・アイコは彼らのケンカに関心を持ち、澪におせっかいを焼き始めた。アイコと話す中で澪は自分の嫉妬を自覚し、メグミと和解した。その時に澪が気付いたことは? 「夜明けのモーニング」

・時はテル18歳の時にさかのぼる。児童養護施設を出たテルを、「こかげ」を開店したばかりの千景が押しかけ姉として出迎えた。テルは「こかげ」でウェイターとして働き始めるが、人見知りが災いして失敗続き。話は現在に戻り、千景は買い物中にひったくりに遭遇して頭を強打する。「後悔のカツハヤシ」

・幸い千景は術後の経過がよく、後遺症などもなかった。復帰後に千景はカレーを作るが、頭を打ったせいもあって元通りの味かどうかいま一つ自信を持てない。「ある姉弟の喫茶店」

「喪う」って何だろう?

第2巻(←本ブログの紹介ページへ飛びます)をご紹介いただいたときには、『あなたはひとりじゃないよ』というフレーズが繰り返されているとおっしゃいましたね。第3巻にもそういうフレーズはあるんですか?」

 フレーズではありませんが、見え隠れするテーマは感じました。

「どんなテーマですか?」

 喪い、手に入れ、そして与える、と言うテーマです。

「とても興味深いです、詳しくお聞かせください」

 分かりやすいのが「夜明けのモーニング」で再登場した澪です。

俺は 生まれつき「喪った」人間だ 他の奴と同じように歩ける足とか重いものを持てる筋力とか 「フツウ」の青春とか…(夜明けのモーニング)

 そんな思いゆえに、「始まりのブラックコーヒー」で仲良くなったメグミが藍人という男子生徒と笑顔で話しているのを見て複雑な心境になり、メグミとケンカしてしまいます。のちに二人は仲直りするんですが、その時「こかげ」のドアチャイムが鳴りました。これは元々ドアの前に段差があって一人で入れない澪のために設けられたものでしたが、実は他の人の為にも役立っていたんです。驚く澪に千景が語ります。

澪くんのために付けたら 他の人にも喜ばれてるのよ 高齢者の方とか配達の方とか ありがとね澪くん(同上)

 そしてメグミも「すごいじゃん 水瀬!」と笑顔を見せました。

…俺は 「喪った」存在だと 思ってたけど ほんとは手に入れてるものもたくさんあるんだよな(同上)

「それをお聞きして思ったんですが、澪は手に入れてるどころか与えてませんか?

 美濃さんがそう思われた理由は何ですか?

澪のために付けられたドアチャイムが他の人の助けにもなっている、それはつまり澪がその人たちを助けているということだ、それが理由です」

 ええ、私も同意見です。だから「喪い、手に入れ、そして与える」と申し上げたわけです。

「他にもそんなエピソードが?」

 はい。「笑うナポリタン」の信は、高校時代テルの同級生でした。彼は姉を殺された自分自身の悲しみと同時に、娘を殺された両親の悲しみをも背負わざるを得ませんでした。加えて、被害者遺族への誹謗中傷も彼を、また彼の両親をも追い詰めていました。

姉貴や親を責める声… 世の中には弱っている者をさらに叩き潰そうとする人間がいると知った(中略)自分の中で 「人間」というものへの信頼が 失われていくのを感じた 「平凡」に生活できるやつはみんな憎い 世界のどこで戦争や災害が起きていようが どうでもいい 自分が救われていないのに みんな 消えてしまえ──(「笑うナポリタン」) 

高校時代の信はテルが児童養護施設で暮らしていることを知って挑発します。親に虐待されたのか? 人間が憎いだろう? 人を殺したいと思ってんじゃないのか? と。

「で、信に対してテルは?」

 ネタバレになるので詳述は控えますがテルの態度に信は救われ、人間への信頼を取り戻しました。あるいは、取り戻し始めました。

「テルはネグレクトされてたんですよね。親の愛情を喪ったテルだからこそ信の心の琴線に触れ、人間への信頼を与えることができた、ということでしょうか」

 私はそう思っています。もっとも、テルの方はこれっぽっちもそんな自覚はないんですが。
 また、「償いのピザトースト」で自分は偽善者だと悩む夏美に冬野はこう声をかけます。

正しくあろうとすることの なにが悪いの 私は… ままならない体を持ってるから 世の中きれいごとじゃないし 理想どおりに行かないことも知ってる でも くあろうともがいてる人を バカにしたくはないよ 私はそういう人たちに助けられてきたし そういう人がいなければ 世界はきっと 今よりもっと崩れてしまうから…(「償いのピザトースト」、ふりがなは原文のまま)

「体が弱い冬野だからこそ善や理想の大切さを分かっていたし、夏美をいたわることもできたんですね」

 だと思います。ただ、喪う一方で手に入れるものがなければ与えるどころではないかもしれません。幸いテルや冬野は色々な人の助けを手に入れることができて、だからこそ信や夏美に与えることができたんでしょう。

「そもそも、千景やテルもかつて喪い、そして今は『こかげ』を通じて与えているんですよね」

 そうなんですよね。私自身も第3巻を読んでいて気付いたことですが「喪失」「共感」「弔い」と同様に「喪い、手に入れ、そして与える」も『木暮姉弟のとむらい喫茶』全体を通じてのテーマなのかもしれません。

この… 喫茶「こかげ」で 姉さんと働いて 色んな客と 出会ううちに 自分に空いた穴も いつの間にか 小さくなっていたことに…(「ある姉弟の喫茶店」)

感想

「色々なことをお感じになったと思いますが、なにわt4eさんは本書を読んでどう思われましたか?」

 まず、喪うことから与えることへのつながりにハッと胸を突かれました。喪うことは苦しいけど、喪ったからこそできることもあるのだな、と。
 他に胸を突かれたのは、姉を殺した犯人に対する信の想いです。犯人は両親から虐待され学校でもいじめられ、凄惨な人生を送っていたようです。もちろんそんなことで信の姉たちを殺したことは正当化できませんが、犯人を憎みつつも信はテルにこんな思いを吐露します。

あいつのことを 「殺したい」と思っているのに どうしたら姉貴たちが殺されずにすんだのかと 考え続けていると どうしても あいつがどこかで救われていたらと そこに行きついてしまうんだ──(「笑うナポリタン」)

「…殺したいくらい憎いのにそいつの救いを願わざるを得ない、これは苦しいでしょうね…」

 信もその苦しみをおそらく解消はできてませんし、今後解消できるかどうかも分かりません。ただ、人間への信頼と笑顔は取り戻すことができました。なお信は何度か再登場してますがなかなか押しの強いキャラで、珍しいことに千景が毎回押され気味です。ただ悪意はなくて、人たらしなんですね。

「夜明けのモーニング」のアイコもおもしろい人物でした。野次馬根性丸出しでメグミとのケンカについて澪に尋ねたり、読書家であるらしくアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を澪に貸したり、それを口実にモーニングをおごらせたり、果ては炊き出しの取材に来たTVのレポーターに食レポさせたりと、なかなか癖のある人物です。ただ、澪とメグミの仲直りについてはアイコが導き手になった側面もあると思います。

「どういうことですか?」

 レポーターに対して名前は伏せてですが澪のことに触れて、「人に頼る」ことを運命的に知っていた澪を見て自分も彼を見習ってもいいのではないかと思った、と話したんです。偶然澪はそれをTVで見ていました。それが澪の心を動かしたように思えてならないんです。
 なおこの仲直り、素直に謝る澪もですがメグミも微笑ましいです。なにしろ澪を真顔でにらんで

あんたが私に 「ひとりにしない」って言ってくれたこと 一生忘れない!(「夜明けのモーニング」)

ですからね。

「…喪失とか死別とかが話題になると、よく『悲しみがあるからその分だけ幸せがあるんだ』というようなことが言われるでしょう? そう聞くとこんな疑問が頭に浮かぶんです」

 どんな疑問ですか?

仮に神様が人間を作ったのだとして、それならどうして神様は悲しみなんか味わわなくても最高に幸せでいられるように人間を作ってくれなかったんだろうという疑問です」

 実は、私もずっとそれを考えてます。その答えはいまだに見つかってません。ただ、喪った悲しみがあるからこそ人に与えられるものもある、そこに答えが潜んでいるのかもしれませんね。


ブログ管理者より:
 死別や喪失というテーマで言えば、先日ご紹介した『喪の途上にて』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)をはじめとして

キャロル・シュトーダッシャー『悲しみを超えて 愛する人の死から立ち直るために』
カーラ・ファイン『さよならも言わずに逝ったあなたへ 自殺が遺族に残すもの』
ジョン・H・ハーヴェイ『悲しみに言葉を 喪失とトラウマの心理学』
リンダ・ゴールドマン『子どもの喪失と悲しみを癒すガイド 生きること・失うこと』
(全てAmazonの紹介ページへ飛びます)

も名著です。機会があればこれらもご紹介したいと思います。


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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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