『喪の途上にて─大事故遺族の悲哀の研究』(野田正彰)日本航空123便墜落事故、そのご遺族の癒し

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先にまとめから

 1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故、それは大型旅客機ボーイング747型が高天原山中に(※1)墜落し520人の犠牲者を出した事故であり、二機以上ではなく一機のみで起きた航空機事故としては世界最悪とされます。日航ジャンボ機墜落事故と呼ばれることもあります。
 本書は精神科医・野田正彰氏がそのご遺族に極めて誠実な聞き取りを行い、日航の対応やマスコミの暴力的な取材に静かに抗議しつつも、ご遺族の悲しみを癒し再発を食い止めるために何が必要かを考察した本です。
 ご自身が死別の深い悲しみの中にある方、グリーフケア(※2)に携わる方々、大事故の再発防止を考えたい方には心からご一読をお勧めいたします。

※1…墜落地点は記事や文献によって「高天原山」と「御巣鷹山」の二通りの記述がみられます。この紹介記事では「高天原山」の、御巣鷹の尾根と呼ばれる場所に墜落したとする記述に従います。
※2…死別の悲しみにある人に対するケア。

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、先日『木暮姉弟のとむらい喫茶』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)をご紹介いただいて思い出したんですが、ちょうど今くらいの時期に大きな航空機事故があったそうですね」

 日本航空123便墜落事故でしょうか?

「それだと思います。取引先の方が、ご自身やご家族は直接その事故と関係ないもののあまりに大きな事故だったので毎年夏になると思い出すとおっしゃってました」

 確かに大変な事故でした。私は当時まだ子どもでしたが、何かとんでもないことが起きたということだけはうっすらと理解できました。

「その事故でとても多くの方が亡くなられたそうで、それで連想したんです。『木暮姉弟のとむらい喫茶』も死別を扱った作品ということでしたから」

 そうなんですね。私は日本航空123便墜落事故に詳しいわけではありませんが、この事故に関する本は読んだことがあります。以来、この事故もその本も忘れられません。

「それは何という本ですか?」

 野田正彰『喪の途上にて──大事故遺族の悲哀の研究』という本です。精神科医がご遺族の心情をとてもていねいにくみ取りつつ事故を考察した本なんですが、この本を私は生涯手放さないでしょう。(本書は岩波現代文庫で出版されていますが、本記事の引用は全てハードカヴァー版によります)

概要

「よほどなにわt4eさんの心に強く焼き付く本なのでしょうね。まず、どんな事故だったか教えていただけますか?」

 1985年8月12日の18時過ぎ羽田空港を出発して伊丹空港に向かっていた日本航空123便に、出発から12分経ったころ機体の異常が発生しました。この機体異常で操縦不能に陥った123便はダッチロール(※3)を続けて迷走したのち、群馬県の高天原山の尾根(通称、御巣鷹の尾根)に墜落、生存者4名に対して犠牲者520名という大惨事となりました。

「本当に大きな事故だったんですね、疑ってたわけじゃありませんが」

 ええ。まず、野田氏がご遺族はじめ事故の関係者に対してどれほど誠実であろうとしたか、配慮しようとしていたかが分かる以下の記述をご紹介します。

こうして私は、三〇人をこえる八・一二事故の遺族から、平均して一人三時間近くの話を聞いてきた。(中略)当時の群馬県警察、上野村役場の職員、保険会社の職員、弁護士、その他関係者を加えると、死別と悲哀の話をどれだけ聴いてきたかわからない。
どの話も重く、またプライバシーにかかわるものであり、苦しい体験を再現してくれた遺族から早くまとめるように言われながら、月日がたってしまった。(P.7)

苛酷な人間の体験を分析して、次の人に伝えるためとはいいながら、こんなことは人間に許される行為であろうか、という自責感に囚われる。(P.18)

 野田氏は膨大な聞き取りを重ねつつ、精神科医としてご遺族一人一人の苦しみや絶望に付き添い、その癒しと再出発をサポートし見届けようとしています。併せて、日本航空やマスコミなどへの問題提起もしています。

「それで、『喪の途上にて』はそのご遺族の心情を扱った本ということでしたが」

 そうです。それに加えてご遺族へのケア、大事故の原因究明や再発防止などについても書かれています。ですので、ご自身が死別の深い悲しみの中にある方、グリーフケアに携わる方々、大事故の再発防止を考えたい方にはご一読いただきたいと思います。

※3…上から見た左右の揺れ(水平方向)と正面および横から見たシーソー状の揺れ(上下方向)が同時に繰り返される現象。

「死別の深い悲しみの中にある方に読んでいただきたい、と思われるのはどうしてですか?」

 本書には様々なご遺族の想いが紹介されていますが、いくらかでも自分の想いと近いものを感じることで、本を通じて共感しあえると思うからです。「自分と全く同じではないだろうけど、自分と似た想いを抱く人がいる」ことに少しでも慰めを感じることができそうな気がするんですよ。例えばこの事故でご主人を亡くされたJさんはこう述べておられます。(以下、仮名は全て原文のまま)

「やはり主人はいないんだな」と、振り返るようになったのは、三回忌をすぎてから。(P.58)

 また、宗教観とか古来の習慣とかの影響だと思いますが、総じて日本人はご遺体を大切にしたい気持ちが強いと言われますね。

「そうですね。この事故でもやっぱりそういう方が多かったですか」

  はい。多くのご遺族が、激しい損壊にショックを受けつつもご遺体を引き取りたいと強く願っておられたことを野田氏は記しています。

このように凄惨な遺体状態で、多くの遺族はなぜ遺体にこだわったのか。
それは、帰らぬ人になるとは毫にも想わなかった家族が、つい先ほど出ていったばかりの家族が、帰ってこなかったからである。(P.12)

検視にあたった多くの医師は、「もし自分の家族であれば、見るに耐えないものであった」と述べ、「あのような無惨な死体は遺族に見せるべきでない」とも言っている。(中略)しかし実際は逆に、前章のKさんのように、家族であればこそ、他人には見るに耐えない身体の破片に思えても、限りなく大切なのである。(P.47)

「逝ってしまった人を少しでも身近に感じたい、大切に扱ってあげたいという気持ちでしょうか…」

 そんな気がします。そして、野田氏のこの一言を私は忘れることができません。

周囲との関係を閉ざした追想でない限り、温かい追想は死者の好むところであり──それこそが、今の自分にとって重要な癒しであることを十分に知っている。(P.133)

「あの人を想っていていいんだ、忘れられなくていいんだ…もし私が大切な人を亡くした時にそう思えたら、どれほど救われるでしょうね」

 私もそう思います。あまりあれこれご紹介すると、なんだかご遺族の想いを「感情のカタログ」扱いしているみたいで気が引けますのでこれ以上は控えますが、何かしら共鳴できる想いに出会って慰められるのではないかと思います。

「『木暮姉弟のとむらい喫茶』をご紹介いただいたときの、『辛いのはあなた一人じゃない。だから誰かがあなたの悲しみを分かってくれるよ』という言葉を思い出しました」

 そうですね。私も今お話していて、同じことを思い出してました。

「グリーフケアについても書かれているのですか?」

 はい。第3章「悲しみの時間学」で多くのご遺族がたどる心理状態や病的なケース、必要な対応などに野田氏はかなりの紙幅を割いています。私はグリーフケアに詳しいわけではありませんが、自分ならこうしてほしいと願うだろうなと思いました。

「そう言えばよくは覚えてませんが、大きな出来事に打ちのめされた人が再起するにあたって、多くの場合みられる一定のプロセスがあると聞いたことがあります」

 ショック・否認・怒り・受容のことでしょうか?

「はい、それです」

 野田氏もそれに触れていて、こう解説しています。

第一段階はショックに始まり、第二段階で死亡という事実の否認、第三に怒り、第四に回想と抑うつ状態、そうして第五段階で死別の受容──と、段階を経ると要約できる。(P.80)

 続く説明をすべて引用すると長くなるので私なりに要約しますと、

・取り乱したり逆に異様に冷静にふるまったりする第一段階
・大切な人の死亡を頭ではわかっていても気持ちがついて行かない第二段階
・「どうしてこんなことになったんだ!」と怒りがこみ上げる第三段階
・うつ病に似た状態になって亡き人への想いを募らせる第四段階
・「これも含めて私の人生だ、あの人の死を踏まえて生きていこう」と立ち上がる第五段階

ということになります。

「素人考えですが、誰もかれもがきれいにその通りのプロセスをたどるわけでもないのでは?」

 おっしゃる通り、どれかが抜けたりどこかの段階でループを繰り返したりということもあるそうです。野田氏もこのように続けています。

私は、このようなマニュアル的な配慮について、書きたくはなかった。(中略)それでもなお、こうして述べたのは、今日の事故に係わる人々──加害者側、警察、マスコミ、社葬をすすめる人、親族などに、いかに遺族の喪を奪う行為が多いか、あきれるが故である。(P.82)

「…ご遺族一人一人がご自分のペースで死別に向き合い想いをはせること、そして周りはそれを邪魔しないことが何より大切、ということでしょうか」

 だと思います。

「大事故の再発防止を考えたい方にも、ということでしたが」

 NASAの研究やタイ国際航空で事故が起きつつも死者が出ずにすんだ事例などに基づいて、事故防止を考察しているんです。ここである機長の言葉が引用されていますが、これには頷かずにいられませんでした。

コックピットのなかで十分に機長にものが言えないようでは、問題だ。
平常、自分の能力を信じていても、危機状況では能力レベルがどれほど落ちるか、知らねばならない(P.304)

 また、長女さんを亡くされた川北宇夫(たかお)さんというご遺族が原因究明のために活動しておられたのですが、アメリカのある航空機事故について政府関係者が行った説明会に川北さんが参加された時の模様がこう書かれていました。

 彼女と出席者とのやり取りは全くオープンで、出席者はどんどん質問し、これに対し彼女はスライドをいっぱい使い、質問にその場でどんどん答えている。情報公開を求めても絶対応じないJALや日本の事故調、警察と較べて、あまりの違いに驚いてしまった。
会議の後、彼女に会って、彼女のやりかたをほめたら、キョトンとしていた。「私のしたことは国の税金でやったこと。社会が求めるなら全てオープンにするのは当然」、それが彼女の答えだった。日本の事故調や警察はボイスレコーダーにしろ遺体のことにしろ、生データをいっぱい持っているにも拘わらず、一切公表しない。彼女は逆にそのことを知って驚いていた。(P.257)

「…そんなJALなら事故を起こしたのは当然、と思うのは飛躍のしすぎでしょうか」

 少なくとも、極端に飛躍した考え方ではないと思います。本書で読む限り日本航空の対応はかなり当事者意識に欠けていると感じられたご遺族が多いようですしね。野田氏はこんな風に、静かながら痛烈に日本航空を批判しています。

加害者は「謝してほしい(引用者注:原文のまま)」、「忘れてほしい」、「補償の成立で区切りにしたい」、そのために話を急ぐのである。加害者の戦略は、自分たちも被害者だと思い込むこと、そして事故の記念と忘却である。(P.295)

「とは言っても、まさか日航の全員が全員そうだったわけではないんでしょう?」

  ええ、一体でも多くご遺族に返そうと奔走された現場担当の岡崎彬氏や、文字通りご遺族のために身を粉にした世話役も触れられています。(第1章「日航機墜落事故後の遺族の仕事」など)

「なにわt4eさんは『喪の途上にて』を読んでどんな感想を持たれましたか?」

 事故と直接関係のない私でさえ何度も胸が苦しくなりましたが、それなのにページをめくる手が止まりませんでした。単なる事故のレポートではなくご遺族の心情をていねいに追い、常に敬意を払いつつその再出発をサポートし、加害企業の対応や再発防止など社会的な側面も深く考察した本だからでしょう。

悲しみとは愛の別のことばに他ならない。愛がないところに悲しみはない。愛の後には悲しみが来るのであり、悲しみは愛の予兆であり余韻であるともいえる。(P.185)

 また、先ほどの川北さんが野田氏に寄せた手紙の一節を紹介しつつ、野田氏は川北さんのこんな思いを伝えています。

私たちが見落としてはならないのは、一人ひとりの遺族が、家族の死については、その知識においても、原因を追究する意志においても、第一人者であるということだ。(P.263)

 これらを読んだ時は本当に苦しく、だけど救われたような気持ちになりました。

「…あくまで外野の想像に過ぎませんが、ご遺族がお読みになったら同じように感じられるような気がします」

 そうかもしれませんね。もちろん感動だの何だのだけで読んでいい本ではありません。「人が人に寄り添うとはどういうことか」「事故はなぜ起きるのか」「再発防止のためには何が必要か」「それでも起きてしまったら求められる対応は何か」などについて大変示唆に富んだ本ですし、読む方もそれを真剣に考えなければならないと思います。

(事故が発生した8月12日に何としても間に合わせて『喪の途上にて』をご紹介したく、本記事を執筆しました。本ブログをお読みの皆様にも本書をご一読いただければ、無上の幸いです)


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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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