『愛するということ』(エーリッヒ・フロム)「愛は技術だ」

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先にまとめから~愛って学ぶもの? ~

 愛。たいていの方が一度や二度は手こずり、悩む問題ではないでしょうか。と言うより、私も含めてほとんどの方が愛については迷いっぱなしかもしれませんね。

 あんなに愛してたのに、どうしてこうなるの?
 そもそも愛って何だろう?
 友情とか同僚への感謝とか、そういうのも愛って呼んでいいのかな?

 胸が痛くなったり涙を流したりしながら、そんなことを考えたことがある方は多いと思います。恋愛に限らず人との関係で悩む方、恋愛にピンとこない自分って冷たい人間なのかなと不安になる方もおられるでしょう。私もそれなりに覚えがあります。
『愛するということ』の著者、エーリッヒ・フロムはこう言います。

「愛は技術だ。だから学んで、練習して、身につけなくちゃいけない」
「現代社会に、人を愛することができる人なんてめったにいない」

 この言葉、あなたはどう思いますか?

「そんなわけないだろ、素晴らしい人と出会うと自然と心にわき上がるのが愛というものさ。事実、ほとんどの人がそうやって人を愛してるじゃないか」

 そう言って一笑に付しますか? それとも、

「待てよ、私はずっと『愛は自然と心にわき上がるもの』と思ってた。そうしていろんな人を愛してきたけどなかなかうまくいってない。ということは、今まで愛と思ってたものを見直す必要があるのかも……」

 そう思うでしょうか。

 もしあなたの思いが後者に近いなら本書『愛するということ』は、人を愛したいと願って一歩一歩進むあなたにとって、たまに耳の痛いことも言うけれど時に励まし時に導く最良のパートナーになってくれます。

「恋愛や結婚生活限定の、手っ取り早いお助け本はいらない。もっと地に足つけて、いろんな愛を考えたいんだ」そんなあなたに、「生涯の一冊」として本書を心からおすすめします。

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、クリスマスムードが盛り上がってきましたね」

 そうですね、100円ショップでも気の早いところだとハロウィン用品とクリスマス用品を同時に売ってました。

「ははは、さすがにそれは気が早いですが、取引先の方は『そろそろプレゼント選びに悩む時期だよ』とおっしゃってました。高校生の息子さんがおられるそうで」

 ああ、そうなんですか。確かに悩むでしょうね。

「音楽がお好きらしいですが、データで購入して聴くのでCDをプレゼントというのもピンとこないそうで。読書はたまにされるらしいですが」

 読書はされるんですか、だったら候補にできそうな本の心当たりはあります。年齢的にもこの本が扱うテーマをいろいろ考える頃でしょうし。

「何という本ですか?」

 エーリッヒ・フロム『愛するということ』です。

どんな本?

「それはどんな本ですか?」

 とても大ざっぱに言えば、
「愛は技術だ。だから学んで、練習して、身につけなくちゃいけない」
「現代社会に、人を愛することができる人なんてめったにいない」

と主張する本です。

「それだけお聞きしてもよく分かりませんが、ずいぶん思いきった主張ですね」

 ええ。ただしフロムは逆張りや冷笑主義でせせら笑っているわけではありません。心理学や精神医学、歴史や宗教学などを総動員してきわめて緻密かつ真剣に、かつ恋愛に限らず幅広い意味での愛を考察しています
 また、ここは時代的な限界でしょうけどフロムは性的マイノリティを想定していませんが、小池定路『若旦那はザンネン。』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の時にお話ししたアセクシュアルやアロマンティックを含む性的マイノリティの方も、それぞれの愛にあてはめて読める内容だと思います。

第一章 愛は技術か

 ここは本書の導入であると同時に核とも言えるでしょう。フロムはここで、愛の問題とは

第一に「どうすれば愛されるか」ではなく「どうすれば愛せるか」だ。
第二に「相手に魅力があるか」ではなく「自分に愛する能力があるか」だ。
第三に「恋に落ちる」瞬間ではなく「愛を続ける」ことがかんじんだ。

と述べています。

「何から何まで、恋愛を含めて一般的なイメージと正反対ですね」

 ええ。そして、フロムは以下のように覚悟を促します。

愛することをやめてしまうことはできない。だとしたら、愛の失敗を克服する適切な方法はひとつしかない。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。(P.15)

第二章 愛の理論

ここでフロムは、長いので要約しますと

・どんな時代のどんな社会でも、人間にはいかにして他者と一体になるか・孤独を克服するかという問題があった。これに全面的に失敗したら、精神に異常をきたすに違いない(P.23)。この問題に対する唯一の完全な答えは愛だ(P.35)。

と述べ、愛をこう定義します。

愛とは●●●●愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。(P.47。傍点は原文のまま、以下同じ)

親子の愛

 ここについては、以下の引用にとどめておきます。おおむねこう要約できると思いますので。

成熟した人間は、いわば母親的良心と父親的良心を併せもっている。母親的良心は言う、「おまえがどんな過ちや罪をおかしても、私の愛はなくならないし、おまえの人生と幸福に対する私の願いもなくならない」。父親的良心は言う、「おまえはまちがったことをした。その責任を取らなくてはならない。何よりも、私に好かれたかったら、生き方を変えなくてはならない」。(P.72)

愛の対象

愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛のひとつの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどうかかわるかを決定する態度●●であり、性格●●方向性●●●のことである。(P.76)

愛とはそもそも人格とか生き方とかの問題だ、だからあの人は愛するけどこの人には冷淡なんてのは成立しない、ということでしょうか」

 だと思います。とは言え、誰だって相性の良し悪しとか、嫌がらせをされたからあの人は嫌いとか、そう言うのはありますよね。

「ええ。そういう人まで愛そうってことですか?」

 いえ、さすがにそうではないでしょう。同じ国民は愛するけど外国人には冷淡とか、同年代の人は愛するけど他の年代の人には冷淡とか、そういうのは愛じゃないという意味だと思います。
 ただ、誰も彼も同じように愛するということではなくて、愛にもいくつかの種類があるとフロムは説明しています。

友愛

 フロムは「あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊重、知」を友愛と呼び(P.77)、これが最も基本的な愛だと言っています。

「それは何となく分かります」

友愛とは人類全体にたいする愛であり、その特徴は排他的なところがまったくないことである。(P.77)
身内を愛するのは別に偉いことではない。(中略)自分の役に立たない者を愛するときにこそ、愛は開花し始める。(P.79)

母性愛

 ここは先ほどの「親子の愛」と重なりますが、一つ強調されている点があります。

「何ですか?」

 子どもの親離れを後押しする能力の重要性です。

恋愛では、離ればなれだったふたりがひとつになる。母性愛では、一体だったふたりが離ればなれになる。母親は子どもの巣立ちを耐え忍ぶだけではなく、それを望み、後押ししなければならない。この段階にいたってはじめて、母性愛は大変な難行となる。つまり、徹底した利他主義、すなわちすべてを与え、愛する者の幸福以外何も望まない能力が求められる。(P.84)

「本当に子どもを愛する母親だけが子離れを後押しできる、ということですか」

 ええ。蛇足ながら私はここを読むと『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌、高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」を連想するんですよ。

あなただけが 夢の使者に 呼ばれる朝が来る(中略)世界中の時を止めて閉じこめたいけど もしも二人会えたことに意味があるなら 私はそう 自由を知るためのバイブル

恋愛

 ここは「恋に落ちる」ことと「愛している」ことの違いなどが書かれていますが、私が最も重要だと思ったのは以下の点です。

たしかに恋愛は排他的である。しかし恋愛において、人は相手を通して人類全体、さらにはこの世に生きている者すべてを愛する。恋愛は、ひとりの人間としか完全に融合することはできないという意味においてのみ、排他的なのである。(P.89)

恋愛の相手は一人だけど、その一人に夢中になって他の人をおろそかにするようなのは愛じゃない、ということでしょうか

 だと思います。ただポリアモリー(※)というあり方の人はいますので、そういう人にとっては「ひとりじゃないけど特定の人たち」ということになるかもしれません。

※……関係者全員が合意の上で、複数の相手と恋愛関係を結ぶありかた。関係者全員の合意がある点、ひとりひとりに対して誠意を尽くす点で浮気や不倫とは異なる。

自己愛

「自己愛と言えば、最近よくない意味で使われることが多い言葉ですね。『あいつ絶対自己愛だよ』という感じで。あれは何なんでしょう?」

「自己愛性パーソナリティ障害」(※)のことだと思います。精神疾患でありはっきりした診断基準があるので素人が安易に診断めいたことを言うべきではありませんが、それはそれとして、フロムがここで言う自己愛とは健全な意味で自分を愛する心です。

隣人をひとりの人間として愛することが美徳だとしたら、自分を愛することだって美徳だろう。少なくとも悪ではないだろう。自分だってひとりの人間なのだから。(中略)自分を愛することと他人を愛することは、不可分の関係にあるのだ。(P.94)

自分は人間である。他人も人間である。ゆえに自分を愛することと他人を愛することはイコールである、ということですか」

 私よりはるかに理解しておられるじゃないですか。

「ははは、恐れ入ります」

※……過度の自信、人からほめられたい強い欲求、人に共感する心が乏しいという特徴の精神疾患。

神への愛

 ここは歴史や哲学も絡んでけっこうな情報量ですので、はしょってお話しします。フロムはここで、かなり乱暴にまとめると「神への愛を表現するにあたって、西洋では神を信じることが重視され、東洋では行動や生き方が重視される」と言っています(P.122)。

 ここで私がおもしろいと思うのは、「ある人の神への愛の性質は、その人の人間にたいする愛に似ている」(P.124)という指摘です。

「どういうことですか?」

 実は私もあまりよく分かってません。ただ、愛にいくつか種類はあっても根本的に同じであるなら──バゲットとコッペパンとハンバーガーのバンズはどれも明らかに違うけど全てパンという点は同じであるみたいに──、人への愛と神への愛が似ているという考え方は成立しうるし、考え方としてもおもしろいと思ったんです。加えて、

目に見える権威であれ、市場とか世論といった目に見えない権威であれ、権威への服従を強いるような社会構造だと、人は幼児的な神の概念を抱く。(P.125)

とありますので、「人への愛も神への愛も社会の影響を受けるから必然的に二つは似てくる」面もあるかもしれません。

第三章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊

 本章をごく大ざっぱに要約すれば「現代の資本主義社会は、人間同士の愛も神への愛も偽りへと導いている」ということになるでしょう。

「どうしてですか?」

 現代の経済って、お金と、それと同じ価値を持つ商品や労働を交換しますよね? 例えば150円のお金と150円のおにぎりを交換したり、一時間の労働と一時間の時給を交換したり。

「ええ」

 それと同じように、自分というお金で買える範囲で最も魅力的な異性を手に入れるのが現代の愛になってしまっていると言うのです。

「つまり、愛や人間も自分との等価交換で消費する商品でしかない、だから現代社会に人を愛することができる人なんてめったにいない、と?」

 ええ。ただ、実はこの章で私が気になっているのは「生産性」という言葉の方なんです。

「生産性?」

 はい。本書ではところどころでこの言葉が使われてますが、第三章や第四章では特に「生産性」がキーになっているみたいです。例えば「愛が成熟した生産的な能力だとしたら」(P.128)という具合に。ですが、ここで言う生産性とはどう考えても「効率」とか「実利的」とかいう意味ではありません。

「お話を聞いているとむしろそういう観点を批判してそうですからね」

 そうなんですよ。ただフロムは本書で「生産性とは〇〇だ」とは書いてないんです。

「では生産性という言葉をどんな意味で用いているんでしょう?」

 実は、そこも私があまりよく分かってないポイントなんです。何となく、人間が本来持っている良い性質を発揮する、のような意味合いという気はしますが。

「しかも『愛が成熟した生産的な能力だとしたら』とも言ってるんですよね。そこの『生産的』になにわt4eさんがおっしゃったことを代入して、かつ愛とは学んで身につける技術だと考えると、『人間には愛する能力はもともとある、だから愛を学んで練習してその愛を発揮しよう』ということでしょうか。『人間にはボクシングをする能力はもともとある、だからボクシングを学んで練習してその能力を発揮しよう』という感じで。もっともこれだと生産性の説明にはなってませんが」

 なるほど、もしかしたらそうかもしれません。うまく整理してくださってありがとうございます。

 この章ではキリスト教の宗教復興にも触れられていますが、他の説明で長くなりましたし、キリスト教に強い関心がある方でなければピンとこないと思いますので、以下の引用にとどめます。

人間どうしの愛の崩壊と歩調を合わせて、神への愛の崩壊●●●●●●●も進行している。(P.155)
現代において「神とともに歩みなさい」という言葉が意味するのは、愛と正義と真理において神とひとつになりなさいということではなく、神をビジネス・パートナーにしなさいということだ。(P.158)

第四章 愛の修練

「で、フロムは人を愛することができる人間になるためにはどうしろと言ってるのですか?」

 実はフロムは、その点について多くを語っていません。むしろ「処方箋を期待するな、愛することは個人的な経験だから自分で経験するしかない」(P.160~161)と言ってます。

「自分で経験しながら考えろ、ということみたいですね」

 ただ「規律・集中・忍耐、そして技術の習得に最大限の関心を持つことが必要」として、それぞれについてこう述べています。

しかし、重要なのは、外から押しつけられた規則か何かのように規律の修練を積むのではなく、規律が自分の意志の表現となり、楽しいと感じられ、ある特定の行動に少しずつ慣れていき、ついにはそれをやめると物足りなく感じられるようになることだ。(P.166)
他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず、相手の話を聞くということである。(P.170)
忍耐力がどういうものかを知りたければ、懸命に歩こうとしている幼児を見ればいい。転んでも、転んでも、けっしてやめようとせず、少しずつ上手になって、ついには転ばずに歩けるようになる。(P.171)

「たゆまず取り組め、相手に関心を持て、あきらめるな、ということでしょうか」

 おそらく。お話ししていてひとつ思い出したことがあります。

「何ですか?」

 いつぞやご紹介した吉岡忍『墜落の夏』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)に、日本航空123便墜落事故で生還された4人のうちの1人・落合由美さんとそのご主人・可之さんのこんなエピソードがあったんです。

病院に入っていたとき、落合さんは激しい痛みや動けないことにときどきいらだって、枕もとのティッシュ・ペーパーの箱などを夫に投げつけることがあった。「止めたらいけないと思ったんです」と、可之さんは言う。「怒るというのは、生きたい、という欲求の証拠じゃないか。それならどんどん投げさせたほうがいい。素人考えでしたけどね、だけど、間違ってはいなかったと思いますよ」(P.143)

 この時、可之さんが由美さんを止めなかった行動はまさしく愛の体現、あるいは愛の修練じゃないかという気がするんですよ。自己犠牲でも甘やかしでもない、主体的な、互いの人生のために闘うことすらいとわない愛。

「……本当に何となくですが、おっしゃることは理解できるような気がします」

 ありがとうございます。

疑問点

とは言え、いくつか疑問点もあります。

「お聞かせください」

・フロムは「宗教は原始的な多神教から発展して一神教に至る」と考えていたようです(P.123など)。歴史的にまず多神教が生まれて、後に一神教が生まれたのは私の知る限り事実ですが、「多神教は原始的、発展形が一神教」と言い切るのは一神教文化のおごりではないでしょうか。

・訳者の鈴木晶氏も指摘しているようにフロムは同性愛を正常な愛からの逸脱としています(P.57)。同性愛をはじめとする性的マイノリティに無理解だった時代背景はありますが、ここは距離を置いて読む必要があるでしょう。

・男女の性差について、本書に書かれた見解は固定的かもしれません(P.61)。フロムもこれらは混じり合っているとは書いてますが、ここも距離を置いて読む必要があると思います。

感想

「なにわt4eさんは、この本を読んでどう思われましたか?」

 この本は学生時代に読んで以来の宝物です。そんなこと言うわりにずいぶん久しぶりの再読ですけどね。

 フロムはこの本をマニュアルとか実践ガイドとしては書いてない分、不親切と言えば不親切ですが、だからこそ自分で考えたり迷ったりしながら愛にチャレンジすることが重要なのかもしれません。先ほど触れた落合さんご夫妻のように。

 第三章でフロムは現代社会と現代人をオルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』になぞらえていますが、愚者の楽園で消費と快楽に明け暮れる新世界の住人たちが私たち自身と何も変わらないという指摘はぞっとするほど正鵠を得ています。愛も人間も等価交換で消費する商品になり下がっている、という意味で。

 それを多くの人が、無意識だとしても感じているからこそ『愛するということ』は1956年の発表以降今も読み継がれているのだと思います。私自身についても、自分の人生からこの本が必要なくなる日は来ないでしょうね。

 とは言いつつ、自分がよく分かってないポイントがいくつかあります。こうしたポイントを今後も考えていきたいですし、ブログ読者のみなさん、本書の読者の皆さんにも一緒に考えたりヒントを提供したりしていただければ無上の幸いです。

※オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』……極限まで発達した科学技術が実現した理想社会が実は愚者の楽園に過ぎなかった、というSF小説。

『愛するということ』をさらに深く味わいたい方へ

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『ほんとうの愛に出会うために』(エドワード・E・フォード、スティーブン・イングルンド)
 本書はフロム風に言えば「愛の修練」に重きを置いた実践ガイド。内容は夫婦や異性愛カップルが中心ですが、『愛するということ』を土台としてさらに考えたい方にはうってつけです。

『ハリール・ジブラーンの詩』(神谷美恵子)
 実はこの中の数編しか読んでいないのですが、「子どもについて」「結婚について」などは愛の問題を考える上で必読です。

・『クオ・ワディス』(ヘンリク・シェンキエーヴィチ) 
 愛読書の一つです。キリスト教徒の娘リギアに一目ぼれしたローマ貴族ウィニキウスは、初めは武力や権力でリギアを略奪しようとするもののリギアや彼女の家族の真心に打たれ、次第に無償の愛を抱き始めます。歴史ロマンや警句の宝庫としても読み応え満点。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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