『拳奴死闘伝セスタス』第8巻(技来静也)王者vs叛逆者

目次

先にまとめから~「持たざる者」は「持てる者」を倒せるか?~

 富や名声、実力──およそ人間が求める全てを持っていて、人柄も嫌みゼロ。そんな「完全無欠」な人物と出会ったことはありますか? そんな人物と向かい合ったとき、あなたはどんな気持ちになるでしょうか?
 純粋に憧れる? 目標として尊敬する? 利用してやろうと狙う? それとも…。

 拳闘士として頂点を極め、財産も名声も温かい家庭も手に入れたソロン。奴隷として裸一貫、孤独に闘い続けて来たエムデン。全てにおいて正反対に見えつつも、二人にはある共通点がありました。そんな二人はどう闘うのか? 周りは二人をどう見守るのか?

 隙のないソロンの拳闘術に翻弄されるエムデン。しかし奇想天外な一手が完全に試合の流れを変えます。動揺するソロン、不敵に笑うエムデン。ですがそれは本当に奇想天外なだけの一手だったのでしょうか? エムデンはどうやってこの一手にたどり着いたのでしょう?

 第7巻のご紹介でも少し触れましたが、第8巻の序盤でムタンガは闘技祭を去ります。彼を闘技祭に連れてきたゾルバとの別れ、命を削る戦いを繰り広げたセスタスとの無言の交流は、静かな名場面としてあなたの心を動かすでしょう。

 捨て身でぶつかる「持たざる者」、全力で向かい合う「持てる者」。二人が命がけでぶつかり合う『拳奴死闘伝セスタス』第8巻、熱くて深い闘いを一緒に見守りましょう。

 こんな方には特におすすめします。

・「持たざる者」「偏屈者」に感情移入しちゃう方
・だけど「勝者」「エリート」の見えない努力も尊敬する方
・渋い名脇役が好きな方

※極力ネタバレしないように書いておりますが、試合結果という意味でのネタバレは避けられません。ネタバレを避けたい方はご注意ください。

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美濃達夫さんとの会話

(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)

「なにわt4eさん、ここしばらく『拳奴死闘伝セスタス』についてお聞きしてませんでしたね」

 そう言えばそうですね。『はっちぽっちぱんち』とか『地面師たち』とかのお話はしてましたが、『拳奴死闘伝セスタス』のお話は第7巻で止まってました。

「いい機会なので、お聞かせいただけますか? 前におっしゃってた、冒頭でムタンガとゾルバが登場する場面も気になるし」

 そうですね、「気を持たせないでくださいよ~!」なんておっしゃってましたし。

「ははは、よく覚えておられましたね」

第8巻のあらすじと見どころ

 セスタスとの試合で意識を失ったムタンガが目を覚まします。ゾルバは指導者を見つけて本格的に拳闘を続けないかとムタンガに持ちかけましたが、ムタンガはそれを断り帰郷します。

 次の試合はエムデン対ソロンです。試合前日、エムデンと彼の目付け役モンソン、そして家族を連れたソロンが偶然出会いました。ソロンは笑顔で握手を求めますがエムデンはそれを拒否、叩き潰してやると宣言。一触即発の空気で彼らは別れました。この闘技祭はローマ帝国の軍資金稼ぎのために賭けが解禁されているのですが、なんとこの試合、エムデンの勝ちに賭ける者が少なすぎて賭けが中止になりました。前日のいきさつもあって激怒するエムデン。そして試合が始まり、序盤からソロンが一方的にエムデンを叩きのめします。誰の目にも絶体絶命のエムデンでしたが、彼のとてつもない一手が試合の流れを完全に変え…。

 いつもながら見どころ満載の作品ですが、以下に重点を置いてお話ししましょう。

・エムデンとソロン、違いと共通点
・エムデンの一手
・別れと無言の交流

エムデンとソロン、違いと共通点

 エムデンとソロンは様々な点で正反対の人物です。

「詳しくお聞かせください」

 ソロンは第5巻で少し触れましたが、本業は教師です。元々名門の出身で経済的な苦境とは無縁、大勢の人から尊敬されています。家庭では優しい妻と一男一女に恵まれ、妻以外の女性には目もくれない。拳闘士としてもすでに四つの大会を制覇して「拳聖」の名をほしいままに。しかもスポーツマンシップあふれる紳士と来ては、彼に欠けているものを探す方が難しいでしょう。

 一方エムデンですが、第3巻ではあまり触れられなかったのでここでしっかりご紹介します。エムデンは簡単に言えば「孤独・偏屈・スカンピン」です。他を度外視して強さを追求するあまり周囲から完全に浮くタイプ。第1シリーズ『拳闘暗黒伝セスタス』では彼の昔馴染みナシカがエムデンをこう語ります。

試合では負け知らずの強豪ですが 御覧の通り偏屈な頑固者ですよ…… 己の理想を追求する事しか興味が無い男でしてね 練習を邪魔されるのを何よりも嫌がるのです 有力者の拳奴ですから誰もここでは文句は言えません(『拳闘暗黒伝セスタス』第10章 第2話「獣道」)

 おまけに、いくら強いと言っても奴隷ですからお金があるわけありません。

「何から何まで正反対ですね」

 ええ。ですが、彼らには一つの共通点がありました。

「え、それは何ですか?」

 自分自身に対する容赦のなさ、です。エムデンもソロンもめっぽうおのれに厳しく、鍛錬においても一切妥協がない。
 エムデンの鍛錬は『暗黒伝』でその一端が描かれていますが…美濃さん、ファイティングポーズをとってみてください。

「とりました」

 では次に、腰を可能な限り低く落としてください。

「うわ、かなりきつい姿勢ですね」

 その姿勢で腰の高さを絶対変えずにすり足で何時間も移動し続ける、というのがエムデンの鍛錬です。しかも手首足首に鉄の重りをつけて。

「……(絶句)」

 一方、ソロンの鍛錬は具体的に描かれていないものの自らこう語っています。

拳闘は孤独な競技です 常に己と向き合い体を苛め 妥協なき鍛錬を積み重ねぬ限り 決して高みに立つ「勝利者」にはなり得ない(『拳奴死闘伝セスタス』第2章 第34話「終わらない登山」)

 そして実際に四冠を達成しているのですから、その厳しさは推して知るべしでしょう。次の第9巻で試合後の二人は互いに別れを告げるのですが、おのれに容赦ないという唯一の共通点がここの描写で活かされていると思います。
 ただ、「孤独」と言いましたがエムデンは完全に孤立無援という訳でもありません。元・師匠のデモクリトス、かつて敗れたセスタス、目付け役として

やけくそで当たって砕けろや は俺が 拾ってやるからよ!(第2章 第63話「愚者の光明」。傍点は原文のまま、以下同じ)

という覚悟でエムデンの闘いを見届けるモンソン。少数ながら理解者はいます。

「ただの偏屈者じゃない、ってことですね」

 そうです。セスタスを憎まれ口半分に激励したりナシカと別れる際に彼を気遣う言葉をかけたりする、人間味豊かな人物でもあります。

エムデンの一手

「奇想天外な一手とおっしゃるのは、どんな手だったんですか?」

 ネタバレ回避のためにここは黙っておきたかったんですが、これを内緒にしてしまうとここから先をお話しできなくなってしまうんですよね。その一手とは、相手の拳にまっ正面から自分の拳をぶつけて叩き割る、エムデン名付けて「砕刃」です。これでソロンは右拳の骨が手の甲から飛び出す大怪我を負いました。

どんな「名剣」でも折れちまえばガラクタだ!(第2章 第66話「刃を砕く」)

「そりゃソロンも動揺するわけですね。その負傷で流れが変わったということですか」

 ええ。さらにエムデンは勢いに乗ってソロンの左拳も叩き割り、両拳を完全に封じました。ただこの「砕刃」ですが、エムデンはその場の思い付きとかやけっぱちとかで繰り出したわけではありません。

「と、おっしゃいますと?」

 エムデンはかつてデモクリトスに師事していた時期に、木の幹を一年間殴り続けて「砕刃」を習得したのです。第6巻で死体を目撃しても平然としていたデモクリトスすら、エムデンが「砕刃」を習得した時の光景には唖然としています。

無数の拳打を浴びた樹幹は 上半身●●●の高さだけ 無残に抉り削られていた 根は大地から浮き上がり 来春は若葉も茂らないだろう 馬鹿の一念が 大樹を殴り殺して●●●●● しまったのだ(同上)

「しかし、拳を狙うってかなり難しいんじゃないですか? 小さいし動きも速いし」

 美濃さんのおっしゃる通りです。だからエムデン自身、

この技は実現不可能と諦めていた ところがどうだ 敵の打撃が正確なほど難易度が下がるとは皮肉だよな(同上)

と言っています。相手がソロンのような達人だからこそ「砕刃」が通用した訳です。

奇想天外な一手とは言っても、それすら妥協のない鍛錬に裏打ちされてるんですね

 ええ。妥協のない鍛錬と、「持たざる者」が生き抜くための創意工夫とに。この一撃からエムデンの生き方すらうかがわれます。

別れと無言の交流

「で、散々気を持たされたムタンガとゾルバのエピソードですが」

 ははは、お待たせしました。対セスタス戦で意識を失って控え室に運ばれ、目を覚ましたムタンガのそばにはゾルバがいました。負けては井戸の話はおじゃんだなと言うムタンガにゾルバが答えます。

最初に約束しただろう おまえの「取り分」は先払い●●●だって 俺は善人じゃねえが「契約」だけは厳守する男だぜ! おまえの出立と入れ替えで 村に職人を派遣済みなんだよ(第2章 第58話「牙の継承者」)

「…ゾルバは一見強欲ということでしたが、本当に自分の欲を満たすことしか頭にない人物だったらそもそも井戸という報酬を先払いにしないのでは」

 私もそう思います。彼がムタンガと彼の家族に同情したかどうかはともかく、非情な男でないことは確かですね。そして指導者を見つけて本格的に拳闘をやらないかとムタンガに持ち掛けます。拳闘でひと儲けしようという腹はもちろんあったでしょうが、それだけでなく、もっと上の世界を見せてやりたい思いがあったのでしょう。

「しかし、ムタンガはそれを断った?」

 ええ。

ゾルバ あんたには感謝している 計らずも 得難い経験をさせて貰った 魅力的な「挑戦」だと俺も思う でも俺の住む「世界」は すでに決まっているんだ 親父との「約束」は 絶対に破れない(同上)

 そう聞いたゾルバの、そして港でムタンガを見送るゾルバの表情は彼の人間味があふれていてめっぽう魅力的ですよ。映画で言えば髙村薫『レディ・ジョーカー』(←本ブログの紹介ページへ飛びます)の劇場版に合田の上司・平瀬役で出演した國村準や、古い作品ですが松本清張原作の『鬼畜』に刑事役で出演した鈴木瑞穂のような渋い名脇役です。
 そしてその船上で、ムタンガは港をうろついていたセスタスと偶然出会います。セスタスもムタンガに気付きました。

忘れないよ 誰よりも手強かった
いつか俺に 息子が出来たら伝えよう お前との試合は 誇れる「決闘」であったと(第2章 第59話「火花」)

 そんな無言の言葉を交わして二人は別れました。ムタンガとゾルバの語らい。そしてゾルバ・セスタスそれぞれとの別れ。どちらも静かながら心に残る名場面です。

感想

「なにわt4eさんは第8巻を読んでどう思われましたか?」

 持てる王者を持たざる異端が追い詰める、という展開はやはり胸が熱くなります。

「あり得ない」は思い込みが定めた限界 狂気に迫る愚直さだけが押し開く「扉」は確かにあるのだ あの日の「備え」が 死中に活きた! 人生 何が奏功するか判らない やってみるものだなエムデンよ!(第2章 第66話「刃を砕く」)

「『俺もやってみよう』『いつかこれが必ず活きる、無駄じゃないんだ』と思わせてくれますね」

そうですよね。デモクリトスのこの言葉に勇気づけられる人は、私も含め少なくないでしょう。

よくある仕種ですが、デモクリトスは敬意を表するときにトレードマークの帽子を脱ぐ習慣あるいは癖があり、「砕刃」を習得したエムデンに対しても脱帽しています。こういう描き方にも芸の細かさを、そして登場人物に対する作者の敬意を感じます。

 あと、見逃せないのがソロンの長男ミロンです。第8巻では父にケンカを売るエムデンをにらみつけるミロンですが、第9巻では自分からエムデンに声をかけます。エムデン対マレク戦から時々登場しているミロンの、着実な成長ぶりがうかがわれてとても魅力的な場面ですよ。

「また気を持たせるんですから…」


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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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