『ともぐい』(河崎秋子)重量級の動物文学!

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先にまとめから

 熊と人間の死闘を描く第170回直木賞受賞作、それが本作、河崎秋子『ともぐい』です! 何と何が「ともぐい」するのか? この闘いに勝者はあるのか? 本作は迫力やリアリティも圧倒的ですが、それだけではありません。重量感あふれる独特の文体やインパクトの強い人物造形など読みどころが満載。吉村昭が実話に基づいて書いた1977年発表の傑作『羆嵐』(←Amazonの紹介ページへ飛びます)に肩を並べる動物文学の新たな傑作です!

美濃達夫さんとの会話

「なにわt4eさん、直木賞とか芥川賞とかよく聞くんですが、あれはどういう賞なんですか?」

 定期的に話題になりますよね。大ざっぱに言えば直木賞は中堅作家の娯楽文学、芥川賞は新人作家の純文学に贈られる賞です。

「そうなんですか。実は、取引先の方が最近直木賞をとった作品がものすごくおもしろかったと絶賛しておられるんです。なんでも熊が出てくる作品だそうで」

 河崎秋子『ともぐい』でしょうか?

「あ、それです!」  

 私も読んだんですが、確かにものすごくおもしろいですよ。

「あらすじを教えていただけますか?」

 舞台は日露戦争前夜、炭鉱ブームがしのび寄る北海道です。主人公の熊爪は猟師として山にこもり犬を相棒に暮らしつつ、時折ふもとの町に降りてなじみの門矢商店で獲物の肉や皮を売って弾丸や米などを買う現金を得ていました。ある時彼の暮らす山に他の山から冬眠していない熊・穴持たずが手負いで迷い込みました。「手負いで怒った熊は人間を襲う、冬眠しているほかの熊を起こしてしまう」怒って穴持たずを狩る決意を固めた熊爪は、穴持たずが地元の若い赤毛の熊と闘うのを目撃。狙いを赤毛に変更します。赤毛と熊爪の闘いは? 熊爪のその後は?

「何と何が『ともぐい』するんですか?」

 やっぱりそこは気になりますよね。実は、はっきり描かれていません。穴持たずと赤毛の闘いでも熊同士の共食いが描かれているわけではないんです。してるだろうな、と思わせる程度。

「題名にするくらいだからかなり幅の広い、あるいは深い意味での『ともぐい』のような気がするんですが」  

 私も美濃さんと同じ意見です。ここから先は私の解釈なんですが、「同類同士のぶつかり合い」を著者は「ともぐい」と呼んでいるのではないでしょうか。穴持たずと赤毛、穴持たずと熊爪、赤毛と熊爪、陽子(はるこ)と熊爪。二頭の熊が同類なのはもちろん、彼らと熊爪も「理屈や思想の通じない自然に適応して生きている」という意味では同類と言っていいでしょう。陽子とは熊爪が獲物の肉や皮を売る門矢商店で世話になっている盲目の若い女性ですが、後に熊爪の妻となります。熊爪は彼女を邪険に扱いもしませんがいたわるでもなく気が向けば彼女の肉体をむさぼり、陽子も陽子で熊爪を翻弄し、最後には…。彼女と熊爪の関係も共食いを思わせるものがあります。炭鉱ブームにうまく乗るものと翻弄されるものの関係も共食いかもしれません。

「あらすじだけではつかみきれない、複雑な作品みたいですね」

 美濃さんのおっしゃる通りです。読みどころはたくさんありますよ。

・迫力とリアリティ
・複雑な人物像
・ヘヴィな文体

迫力とリアリティ

 まずは何と言ってもこれでしょう。リアリティと言っても猟師じゃない私が思うことですから本当にリアルかどうか保証できませんが、少なくとも素人目で読む限り迫真の描写です。例えば、穴持たずと赤毛の闘いを熊爪が目撃する場面。

鼻先のあたりが軟骨ごと食いちぎられ、慌てて組み付いている体を離して両前脚で懸命に鼻のあたりを掻きむしり始めた。(P.113)
鼻を抉られ、頬の皮をこそがれ、血に塗れたけだものは熊爪を見て確かに──
笑った。
獣の血と、体臭と、生臭い息が混ざった奥に、勝ち誇る生き物の傲岸な臭いを嗅いだ。(P.115~116)

「何と言いますか、熊の内面まで描写しているところがすごいですね。しかも『臭い』をキーワードに描いているところが」  

 そうでしょう? 著者は元々実家が北海道の酪農家で羊の世話をしていたそうで、だから動物の生態や心理を熟知しているのかもしれません。

複雑な人物像

 熊爪は山で動物を狩って暮らすことに特化したような人物で、現金を得るため時折ふもとに降りるととても居心地が悪そうにしています。

「今でいうコミュ障みたいですね」

 ああ、似てるかもしれませんね。ただ、読み進めると分かりますが熊爪は意外と複雑な人物です

「と、おっしゃいますと?」

人間関係はまるでお手上げというわけではなく、例えば陽子が手を引いてもらって山を歩きたいと言う場面では、気乗りしないはずの炭鉱行きをほのめかせて遠回しに断ろうとする駆け引きをしています。 また、山中での狩猟生活に特化したような人物と言いましたが内省と無縁ではありません。赤毛をしとめた熊爪は

「なんで負けた、お前」
──俺なんかに。(中略)後悔に近い感情だった。(P.210)
死に損ねて、かといって生き損ねて、ならば己は人間ではない。人間のなりをしながら、最早違う生き物だ。
──はんぱもんだ。(P.214)

と、単純に勝ち誇るわけではなく自分が以前の自分から決定的に変わってしまったことを自覚します。

「確かに、意外と複雑な人物ですね」

 熊爪のみならず、陽子も一筋縄ではいきません。「少女」と形容されているので20歳にはなっていないでしょうが、猟犬をかわいがってはしゃぐかと思えばフェミニズムや人権思想のかけらもない熊爪と対等に渡り合い、どこか尻に敷いているようですらあります。門矢商店で強いられたある壮絶な体験のために図太くなっているのかもしれません。

ヘヴィな文体

 文体もとても興味深いですよ。今の日本文学はスピード感のある軽快な文体が主流…と私は思っているんですが、本作の文体は正反対です。それこそ巨大な熊がじりっ、じりっと近づくみたいに重く迫力のある文体なんです。冒頭の緊張感はただごとではありませんよ。加えて比喩のセンスも特徴的です。例えばこんな具合。

町それ自体がじわりと太ったようにも見えた。(P.23)
ふじ乃の月光に照らされた手と、頭を下げた時に見えた首筋が、白い毒茸の軸のように思えて気味が悪かった。(P.94)

「おもしろい表現ですね。私があまり本を読まないせいかもしれませんが、聞いたことのない表現です。でも確かにイメージがはっきり伝わりますね」

 でしょう? またこの作品は「時代の流れ」もテーマの一つとなっています。ふもとの町が炭鉱ブームにわく中で門矢商店も時代の波をかぶります。熊爪が腰を痛めた際に、店主の良輔は熊爪にこう語りました。

「腰を痛めていても、どこかにはあるさ。炭鉱ではないとしても、お前が生きていける場所が。世の中変わる。何かを選ばにゃいかん時というものはある……」
 熊爪に語るというより、自分自身に言い聞かせるようなゆっくりとした声だった。声自体は明るいが、どうにもこれまでの飄々とした軽さが感じられない。(P.160)

「それだけお聞きしてもどんな風に波をかぶっているのかよくは分かりませんが、時代に翻弄されていそうな雰囲気を感じます」  

 そうです。それをたったこれだけのフレーズで、本作をお読みでない美濃さんに感じさせる技量は見事ですよ。

「なにわt4eさんのご感想をお聞かせください」

 とにかく圧倒されました。熊同士の闘いや熊と人間の闘いの迫力はもちろんのこと、人間とは何か・人間が生きるとはどういうことかという問いかけ、ヘヴィで緊張感に満ちた文体にも。ラストシーンで、熊爪は救われたのかもしれないな…と私は思いました。そして、主人の救済を見届けた犬も救われたのかもしれません。  獣臭くて、地味で、重い。もしかすると、現代日本文学の主流からは外れた作品かもしれません。ですがこれは一級品の名作ですよ。

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この記事を書いた人

名もなき大阪人、主食は本とマンガとロックです。

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