先にまとめから~スリル満点の詐欺バトル、人間らしい葛藤~
ネットフリックスでドラマ化されて話題になった『地面師たち』をご存知ですか? 2017年、積水ハウスが偽の所有者に騙されて廃旅館を購入する契約を結び、55億5千万円を騙し取られる事件が起きました。本作はこの事件にヒントを得た作品で、土地の所有者に成りすまして他人の土地を売りつけ大金を騙し取る「地面師」の暗躍を描いています。
本書を読めば、あなたは
・せっぱつまると人間はいかに簡単に騙されるかが分かる
・拓海の葛藤を追うことでさらに深く人間を理解できる
・事件を追う刑事・辰やかつての拓海を見つめることで「なんてことのない日常の幸せ」に改めて気づく
でしょう。
こんな方には特にオススメです。
・実話をもとにしたスリリングな物語が好きな方
・「心理戦」「頭脳戦」というワードが大好物な方
・悪事に手を染めつつも悪人になり切れない元・善人に共感する方
美濃達夫さんとの会話
(架空の人物・美濃達夫さんに本書をご紹介する、という設定で書いております)
「なにわt4eさん、『地面師たち』という本をご存知ですか?」
ああ、つい先日読んだところです。大変おもしろかったですよ。
「そうなんですか。実は取引先の方も読まれたそうで、原作があまりにおもしろかったからドラマ版を見るためにネットフリックスを契約したとおっしゃってたんです」
お気持ちは分かります、確かにとてもおもしろかったですから。単に筋立てがおもしろいだけじゃなく、人間の本質にも迫った作品です。実話がベースという点も興味をそそりますしね。
あらすじと魅力的なポイント
「どんな作品ですか?」
まず「地面師とは何ぞや」ですが、これは他人の土地をその人に成りすまして売ることで土地の購入代金を騙し取る詐欺師です。詐欺被害がきっかけで妻子と母親を喪った辻本拓海は、すっかり投げやりになって出張型風俗店の送迎ドライヴァーとして暮らしていました。ある時、拓海は地面師のボスであるハリソン山中と出会い、地面師の世界に足を踏み入れます。次第に頭角を現す拓海。拓海を含むハリソンの地面師チームは住職・川井菜摘が所有する100億円の土地に目を付け、これを石洋ハウスに売りつける計画を立てました。しかしハリソンを追う元刑事・辰から接触された拓海は、ハリソンと自分の過去が結びついていたことを知らされます。川井が思わぬ動きを取る波乱はあったものの石洋ハウスの内紛にも助けられてハリソン一味の目論見は成功、100億円を騙し取りました。報酬の決済が済んだのち、辰の言葉に対する裏付けを得た拓海は…。
というのがあらすじです。ストーリー自体とてもスリリングですが、それだけの作品ではありません。魅力的な点はいくつもありますが、私が主な魅力だと思うのは以下の3つです。
・詐欺バトルのスリルとサスペンス
・拓海の心の揺れ
・悪のカリスマ・ハリソン山中
詐欺バトルのスリルとサスペンス
ハリソン一味が仕掛けた詐欺
まずはこれ。序盤でハリソン一味はマイクホームに10億円の詐欺を仕掛けます。ここで一波乱あるのですが、これをどうしのぐかが序盤のクライマックスですね。
そして本番は、やはり石洋ハウスを相手取った100億円の詐欺です。石洋ハウスの開発本部長・青柳は失策のため社内で窮地に立たされていました。川井の土地に目をつけていたハリソン一味がこれを嗅ぎつけ、青柳の焦りにつけ込むように川井の土地を売却しようとします。拓海たちが青柳をあおったり、言葉巧みに沖縄へ行かせたはずの川井が急遽東京に戻って取引の真っ最中とも知らず自宅に向かったり、展開が二転三転して手に汗を握りますよ。
引っ掛かる人間の心理
ここで注目したいのは、拓海たちが駆使する「早く買わないと他の人に買われちゃいますよ」という詐欺や悪徳商法の常套手段に青柳が見事にはめられている点です。部下が町内会からさえ売却の噂が聞こえないと疑問を呈したり社内のライヴァル・須永が詐欺の可能性を指摘したりしていたのですが、青柳は強引に話を進めました。
「多少の疑義があっても、手に入れろ」
青柳は自身を納得させるように言った。(P.221)
「自身を納得させるように、という点がミソですね。せっぱ詰まると人間なんて手もなく騙されるってことでしょうか」
ええ。よく「人間は合理的なものではなく、自分が信じたいものを信じる」とか「自分は容易に自分を騙す」と言いますが、ここの青柳はまさにそうです。
闇社会の住人たち
テーマがテーマだけに『地面師たち』には闇社会の人間が多数登場しており、彼らの描写も説得力があります。私が特におもしろいと思ったのは長井です。
「どんな人物ですか?」
彼は数学やデジタル技術に秀でた若者で、交通事故に遭って以来人目を避けてごくたまに闇の仕事を引き受けながら暮らしています。拓海がハリソンの命を受けて長井にICチップ入り免許証の偽造を依頼するんですが、長井の屈折した暮らしぶりもさることながら拓海に少しずつ心を開く描写は心憎いの一言に尽きます。
拓海の心の揺れ
過去に目をつぶる拓海
ハリソン山中の存在も大きいですが、私はやはり拓海が主人公だと思っています。『地面師たち』は拓海が地面師として頭角を現す悪の成長物語でもあるんですが、拓海には真人間として生きてきた過去に目をつぶって地面師稼業にのめり込みつつもどこか人間らしさを捨てきれない節があります。
かつて自分が食いつくされたように、弱きものはとことんまで食われてしまえばいい。(P.103)
金を騙し取ったからといって、胸の空隙が埋まるようなことはなかった。みずから悪に染まりきることで、過ぎし日をやり直せるわけでもない。誰かの善意や良心を搾取している間に、いや、そのような自覚さえもしだいに無意識の闇へ消沈し、いつか地面師という仕事そのものに淫するようになっていた。地面師として仕事に打ち込んでいるときだけは、まるで自分が透明になったかのように無心になれた。(P.104)
人間らしさを捨てきれない拓海
「悪人になろうとしてなり切れないということでしょうか…なにわt4eさんは拓海のどんな点に人間らしさを感じましたか?」
一つは、先ほど触れた長井との交流です。初めはけんもほろろだった長井はやがて拓海に心を開きましたが、拓海が弁舌巧みに(いや、オヤジギャグではありませんよ?)説得した訳でも、拓海が同情して長井がほだされた訳でもありません。俺も俺で大変なのにお前の気持ちまで分かってなんかいられるか、と話す拓海を見て長井は「こいつは俺と同じ目の高さで話をしようとしている」と感じたのでしょう。
もう一つは、川井を沖縄へ向かわせる準備のため沖縄を訪れた場面です。拓海はかつて妻子と3人で沖縄の瀬長島を訪れました。拓海はそこに立ち寄って平和だった過去に想いを馳せます。さらっとしか描かれてませんが、それだけに拓海の胸中がしのばれる名場面でした。
「しかし人間らしさを捨てきれないんじゃ、地面師稼業も長続きしないでしょう」
おっしゃるとおりです。だからこそ結末近く、拓海のこんな葛藤が描かれます。
なにもかも失い、一度は生そのものを断念した。そこから期せずして地面師稼業という浮上の機会を得て、今日までそれに専心して生きてきた。進んで罪をかさね、みずからを日の当たらないところに置くと、内にはびこった暗い過去が闇にまぎれ、曲がりなりにも前をむいて一日一日をやり過ごすことができた。それもすべては、ハリソン山中が失意の底にいる自分に手を差しのべ、地面師にみちびいてくれたからにほかならない。
だが、もしも老刑事の言が事実だとすれば、自分はハリソン山中に二重に騙されていたということになる。地面師といういまを生き、過去から自由になったつもりが、結局はずっと過去にしばられていた……いや、そんなことがあるはずがなかった。
たとえ世間から後ろ指をさされようとも、今後も自分自身の生のために地面師をつづけていく。自分にはこれしかなかった。が、そうつぶやきながら、一度胸をかすめてしまった疑惑にはいつまでも蓋をしておけないことも自覚していた。(P.301~302)
「その葛藤に、拓海はどうケリをつけたんですか?」
そこを言っちゃうとネタバレなので、読んでのお楽しみですよ。
悪のカリスマ・ハリソン山中
ハリソン山中の来歴
ハリソンは昭和30年島根県に生まれました。高校卒業と同時に暴力団員になるも30歳で破門され、それ以降は組で身につけた地上げのノウハウを生かして地面師として名をはせています。
なぜ「悪のカリスマ」か?
「悪のカリスマ、とはどういうことですか?」
映画とか漫画とかでいませんか? 悪役なんだけど強烈に魅力的だったり、ミステリアスで目が離せなかったりするキャラクター。ハリソン山中はまさにそれです。ただ口がうまいだけの詐欺師ではありません。不動産取引関係の法令に明るいのはもちろん自治体の条例、刑法や刑事訴訟法もやすやすとそらんじ、さらにはアリストテレスやヘーゲルなどの古典哲学も自由自在に引用するというとてつもないインテリです。
その反面、拓海と知り合うきっかけになった風俗嬢とのトラブルではサディスティックな傾向がうかがわれたり、ある人物には「家族なんか、またつくればいいじゃないですか。もっといいのができますよ」(P.330)と言ってのけたり、いわゆるサイコパスめいた人物でもあります。後藤も拓海に、石洋ハウスの仕事が終わったら足を洗うと話しつつ
ハリソンな、あいつはやばい。頭おかしい。(P.235)
と漏らしています。
「そんな人格でよくチームのボスが務まりますね」
そこなんですが、ハリソンはいわゆる「人たらし」でもあるようですね。拓海への態度で言うと、最初は簡単な使いしか任せてなかったのですが長井の信頼を得た件で見る目を変えて地面師として育て始めます。拓海も、犯罪とは言えできることが少しずつ増えていく過程にある種の充実感を得て、ハリソンに一定の信頼を置くようになりました。
「…そこが悪のカリスマたるゆえん、ということですか?」
一つの大きな要因ではあるでしょう。人たらし、底知れない知性、サイコパス的な人格、100億円という巨大なスケールの詐欺をもくろむ野心といった要素がハリソン山中を悪のカリスマたらしめているのだと思います。
私は彼を見ていると、ドストエフスキー『悪霊』の主人公スタヴローギンを連想します。
「そいつも悪のカリスマなんですか?」
そうです。イケメン・インテリ・実家金持ちと3拍子揃っていながら人間らしさのかけらもなく、関わる人間を片っ端から破滅させるスタヴローギンとハリソン山中が何だか似ていると感じました。作者がスタヴローギンを意識したかどうかは分かりませんけどね。
感想
「なにわt4eさんは『地面師たち』を読んでどう思われましたか?」
最初はストーリーがおもしろいだけの作品と思って読んでましたが、読み進めるにつれてこれはかなり人間の本質に肉迫した物語だと思うようになりました。とりわけ拓海の心が揺れるさまを追っていると、悪と善の間でもがく人間の弱さや不安定さがかいま見られて、目が離せません。
定年退職しつつもハリソンを追う辰も大変興味深い人物でした。辰は長年家庭を顧みる余裕もなく刑事の仕事に追われていましたが、それなりに家族仲はいいらしく妻とほほえましいやり取りを繰り返しています。これが拓海の過去ともども詐欺と鮮やかな対比になっているので、犯罪小説でありながら「なんてことのない日常の幸せ」をも実感します。
また辰は物語後半で拓海と接触しますが、ここでの辰にはどことなく拓海への思いやりが感じられます。辰のような平凡な善人もしっかり描かれているからこそ、ハリソン山中のカリスマ性や悪と善の境で揺れる拓海の葛藤がいきいきと伝わるんでしょう。
「すごくおもしろそうですね、一度本屋さんで探してみます」
ぜひそうなさってください! なお原作にはない台詞ですが、ネットフリックスのドラマ版では後藤がたびたび「もうええでしょう」と言っています。詐欺がばれないよう早めに話を切り上げたり、相手に圧力をかけたりするとき口にする台詞なんですが、これが決め台詞としてネットミームにもなっています。こちらを調べてみるのもおもしろいと思いますよ。